かつらきにいますほのいかづちじんじゃ
葛木坐火雷神社のお参りの記録一覧
葛城訪問、最後は當麻寺を出て葛木坐火雷神社。
葛木坐火雷神社は崇神天皇の十年に天皇より天磐笛を賞賜せられ笛吹連の名を命ぜられる、とあり、その頃から存在していたようです。延喜式内社。火雷大神を祀る火雷神社と笛吹連の祖神天香山命を祀る笛吹神社の二社が合祀されています。
神社は町はずれにポツンとある感じですが、歴史を感議させる佇まい。境内には大砲もありました。社務所は拝殿前の石段を数段降りたところから横に折れていきますが、狭くて行きづらいです。
御朱印。
鳥居を潜り石段へ。
いい感じの石段と木漏れ陽。
大砲!
さらに石段。苔むしてます。
狛犬さん
拝殿。
拝殿を斜めから。
幣殿。
本殿。
本殿横の古墳。
左から森本神社、浅間神社、空室神社
梅室神社。
大和国忍海郡の名神大社です。御祭神の火雷大神さまは当社では火の神様🔥として信仰を集めています。
地元では地名と相まって"笛吹(ふえふき)神社"と呼ばれ古くから信仰の篤い神社ですが、近年とある鬼退治の漫画の影響で新参の参拝客が増えたそうで🧐
そう、あの社会現象になったあの作品です。
《鳥居と社号碑》
《境内案内》
小高い丘の上にあります。
《末社群》
熊野神社、稲荷神社、春日神社です。
近隣の紀伊国、山城国、そして大和国の代表的な神社といえるでしょう。
《祭神詳細》
👁チェックポイント‼️
宮中大膳職とは古代律令制において宮内省に所属し、朝廷の臣下に饗膳を供する機関でした。
『延喜式』神名帳においては"御食津神社、火雷神社、高倍神社"の三社の名前が見え、そこでも火・竈の神として当社から宮中へ勧請され、祀られていたと考えられます。
《手水舎》
《大砲台》
明治期の日露戦争のあと、政府からあたえられました。この前にも行った廣瀬大社にもありましたね。
《拝殿》
現在の公式社名は"葛木坐火雷神社"ですが、火雷神社は社勢が衰え笛吹神社の末社として扱われていました。
明治期の王政復古と式内社調査の影響で現社名に復しているため、地元は通称の方が強いそうです。
《音守》
主祭神の一柱で"笛吹神社"の由来である天香山命さまは楽器の演奏者からの信仰が篤く、私も笛吹くので上達を願っていただきました👏
《社務所》
前述した漫画というのが皆さんもだいたい予想がつくあの作品で、作中の人気の高い登場人物の技名が"火雷神"ということでファンにとっての聖地となったようです。筑前国の竈門神社が同じ現象にありましたね。アニメとは何と恐ろしい…🙀
しかもアニメの方にはその技名出てこないので参拝した人たち間違いなく原作ガチ勢なんですよね😇
《ホームページ開設》
その影響のためか、今年の6月からHPが開設されました。
まぁ守札を受ける際に出てこられた神主さんのお話によると関連した問い合わせも増えた反面、新参の参拝者とネット上で話題になったおかげで地元民からの認知も上がったそうです。
神主さんも若い方だったので、新しい風を取り入れるにはちょうどよかったのかもしれませんね。
#葛木坐火雷神社 #笛吹神社
ご祭神はホノイカヅチの大神、アメノカグヤマの命。相殿神にアマツヒコホホニニギの命、オオヒルメムチの命、タカミムスビの神、イコヒツベの命。
#火雷大神
古事記・日本書紀では火雷、山城国風土記逸文では火雷命。古事記・日本書紀によれば、8柱いる”やくさのいかずち”の1柱。
山城国風土記逸文によれば、ワケイカヅチの命の父。彼が丹塗り矢に姿を変えて鴨川を下ると、川遊びをしていたタマヨリヒメが矢を持ち帰り、家の寝床の近くに挿しておいた。するとワケイカヅチの命を身ごもったとある。
タマヨリヒメの命は賀茂御祖神社(京都市左京区)の、ワケイカヅチの大神は賀茂別雷神社(京都市北区)のご祭神だ。
風土記には確かに、ワケイカヅチの命の父はホノイカヅチの命と書かれているのだが、神社の由緒や書籍などでは、オオヤマクイの神と書かれていることの方が多い。
ところで、火雷神という神名は上述した”やくさのいかずち”の1柱を指すほか、”やくさのいかずち”全員の総称として用いられる場合や、菅原道真のような怨霊を示すこともあるそうだ。
最後の用法の例に御靈神社(京都市上京区)があるが、この場合は「ほのいかづちのかみ」ではなく「からいしん」と読むとか。
実のところ、ここ葛木坐火雷神社におけるホノイカヅチの大神が厳密にいうとどれに該当するのか、僕は知らない。
奈良県のおすすめ🍁
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
2
0