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達磨寺ではいただけません
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達磨寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年07月12日(火)
参拝:2022年7月吉日
奈良県の寺社仏閣巡りの3番目は、先の朝護孫子寺のある生駒郡平群町から南へ行って生駒郡三郷町を抜けた次の北葛城郡王寺町に在る片岡山 達磨寺です。
臨済宗南禅寺派で、本尊は達磨大師・聖徳太子・千手観音。
この達磨坐像と聖徳太子坐像は重文、千手観音坐像は町指定文化財です。
平日、土日祝ともに10時~15時ならば予約無しで拝観出来ますし、土日祝ならば無料で境内を案内して頂けるボランティアガイドの方々がいらっしゃいます。
613年、聖徳太子が片岡山を通り掛った際、1人の異人が飢餓に苦しんでおり、太子はその異人に衣食を与えた。翌日、その異人は亡くなっていたので厚く葬った。後日、様子を見に行かせると、死体は消え、衣服だけが棺の上に残されていた。これを知った里人は、あの異人は達磨大師の化身に違いないといった。棺の上に達磨塚を造り、精舎を建て、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりと伝わります。実際の寺院は鎌倉時代以降との事であり、建久年間(1190~1198年)に解脱上人貞慶が達磨像や堂を修理し、達磨寺と称された。嘉禄年間(1225~1228年)には興福寺によって焼き討ちされて荒廃するも、延応年間(1239~1240年)に松尾の勝月上人が再興。永享年間(1429~1441年)に建仁寺の南峯禅師が住持として入った。永禄年間(1558年~1570年)に松永久秀の戦火によりまたも衰亡したが、正親町天皇の綸旨や豊臣秀頼の支援により再興。また、徳川家康から30石の朱印地が安堵された。尚、現在の本堂は2004年に再建されたものです。
南北に走る国道168号線沿いに寺院、駐車場があります。(駐車場は南側の山門前にも有り)
駐車場からは西門から入る事になりますが、私の流儀では山門から入りますので南側へ廻り込んで山門をくぐりました。正面に本堂、右側手前に方丈、左側に案内所です。
私の当初の予定では15時を過ぎる可能性があったため事前に拝観予約をしておりましたが、計画変更したため15時前にお邪魔できたので案内所でその旨伝えました。(案内所の方にご住職からの私に関するメモが渡されていた。)
併せて御朱印もお願いしました。
「雪丸」がやたら出てくるので(御朱印もある)、てっきり聖徳太子に関係する王寺町出身武将の幼少時の呼び名かなと思っていたら、聖徳太子が飼っていた犬の名だそうで、全く知りませんでした。現在は王寺町公認キャラクターにもなっています。可愛らしい雪丸のシールを頂きました。御朱印帳を頂く際に「境内を案内しましょうか?」と仰有って頂いたので、お言葉に甘えて案内して頂きました。
境内は整然としていて、とても綺麗です。
先に本堂の周りを時計回りに。一夜にして竹が生えた一夜竹、雪丸像、片岡八郎の墓、松永久秀の墓、問答石があり、裏に廻って達磨寺1号墳(雪丸塚)、達磨寺2号墳(地下道が法隆寺まで繋がっているそうな)と案内頂き、次に本堂へ。
本堂は資料展示室も兼ねており、右壁面には出土した甕や香炉、真ん中手前には本堂地下に埋められていた石塔、水晶で出来た舎利容器、舎利、左壁面には涅槃図(レプリカ)、朱印状等が展示されていました。
派手ではない須弥壇の真ん中に千手観音坐像、左側に聖徳太子坐像、右側に達磨坐像が祀られています。聖徳太子は高さ約93cm、1277年の作、威厳がある厳しいお顔。達磨大師は高さ約88cm、1430年の作、頭から袈裟を被り、よく見る達磨さんの絵とは違う個性的。千手観音は高さ約76cm、室町時代の作、当初は500手あったと考えられ現在は340手位、扇状に拡がっており、いくつかの掌には目があります。お顔は院派の感じがしました。
本堂を出てから方丈へ。近年改修されたそうで綺麗な建物で、上がらせて頂いて拝観させて頂きました。
印象に残る素敵な寺院でした。
臨済宗南禅寺派で、本尊は達磨大師・聖徳太子・千手観音。
この達磨坐像と聖徳太子坐像は重文、千手観音坐像は町指定文化財です。
平日、土日祝ともに10時~15時ならば予約無しで拝観出来ますし、土日祝ならば無料で境内を案内して頂けるボランティアガイドの方々がいらっしゃいます。
613年、聖徳太子が片岡山を通り掛った際、1人の異人が飢餓に苦しんでおり、太子はその異人に衣食を与えた。翌日、その異人は亡くなっていたので厚く葬った。後日、様子を見に行かせると、死体は消え、衣服だけが棺の上に残されていた。これを知った里人は、あの異人は達磨大師の化身に違いないといった。棺の上に達磨塚を造り、精舎を建て、聖徳太子が自ら刻んだ達磨像を祀ったのが達磨寺の始まりと伝わります。実際の寺院は鎌倉時代以降との事であり、建久年間(1190~1198年)に解脱上人貞慶が達磨像や堂を修理し、達磨寺と称された。嘉禄年間(1225~1228年)には興福寺によって焼き討ちされて荒廃するも、延応年間(1239~1240年)に松尾の勝月上人が再興。永享年間(1429~1441年)に建仁寺の南峯禅師が住持として入った。永禄年間(1558年~1570年)に松永久秀の戦火によりまたも衰亡したが、正親町天皇の綸旨や豊臣秀頼の支援により再興。また、徳川家康から30石の朱印地が安堵された。尚、現在の本堂は2004年に再建されたものです。
南北に走る国道168号線沿いに寺院、駐車場があります。(駐車場は南側の山門前にも有り)
駐車場からは西門から入る事になりますが、私の流儀では山門から入りますので南側へ廻り込んで山門をくぐりました。正面に本堂、右側手前に方丈、左側に案内所です。
私の当初の予定では15時を過ぎる可能性があったため事前に拝観予約をしておりましたが、計画変更したため15時前にお邪魔できたので案内所でその旨伝えました。(案内所の方にご住職からの私に関するメモが渡されていた。)
併せて御朱印もお願いしました。
「雪丸」がやたら出てくるので(御朱印もある)、てっきり聖徳太子に関係する王寺町出身武将の幼少時の呼び名かなと思っていたら、聖徳太子が飼っていた犬の名だそうで、全く知りませんでした。現在は王寺町公認キャラクターにもなっています。可愛らしい雪丸のシールを頂きました。御朱印帳を頂く際に「境内を案内しましょうか?」と仰有って頂いたので、お言葉に甘えて案内して頂きました。
境内は整然としていて、とても綺麗です。
先に本堂の周りを時計回りに。一夜にして竹が生えた一夜竹、雪丸像、片岡八郎の墓、松永久秀の墓、問答石があり、裏に廻って達磨寺1号墳(雪丸塚)、達磨寺2号墳(地下道が法隆寺まで繋がっているそうな)と案内頂き、次に本堂へ。
本堂は資料展示室も兼ねており、右壁面には出土した甕や香炉、真ん中手前には本堂地下に埋められていた石塔、水晶で出来た舎利容器、舎利、左壁面には涅槃図(レプリカ)、朱印状等が展示されていました。
派手ではない須弥壇の真ん中に千手観音坐像、左側に聖徳太子坐像、右側に達磨坐像が祀られています。聖徳太子は高さ約93cm、1277年の作、威厳がある厳しいお顔。達磨大師は高さ約88cm、1430年の作、頭から袈裟を被り、よく見る達磨さんの絵とは違う個性的。千手観音は高さ約76cm、室町時代の作、当初は500手あったと考えられ現在は340手位、扇状に拡がっており、いくつかの掌には目があります。お顔は院派の感じがしました。
本堂を出てから方丈へ。近年改修されたそうで綺麗な建物で、上がらせて頂いて拝観させて頂きました。
印象に残る素敵な寺院でした。
すてき
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nomuten977投稿
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