かつらぎふたかみじんじゃ
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葛木二上神社ではいただけません
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葛木二上神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年12月20日(水)
参拝:2023年12月吉日
大和国葛下郡の式内社「葛木二上神社 二座」です。二上山雄岳の山頂付近に鎮座しており、道中は登山道になっています。二上山が雄岳と雌岳の二つの峰を持つことから、かつてはそれぞれに神様が祀られていたことが、『延喜式』神名帳に「二座」と追記されている由縁とされています。
《登山道入口》
麓には葛木倭文坐天羽雷命神社が鎮座しており、当社の御祭神の片割れである大国魂神さまが相殿で祀られています。
麓には葛木倭文坐天羽雷命神社が鎮座しており、当社の御祭神の片割れである大国魂神さまが相殿で祀られています。
《標識》
麓から神社まで約1.6km。倭文神社の神主さんが不在で数十分で戻られるとのことだったので御朱印帳を預けて登りました。
麓から神社まで約1.6km。倭文神社の神主さんが不在で数十分で戻られるとのことだったので御朱印帳を預けて登りました。
《害獣避けの柵》
開けて入ることができます。
開けて入ることができます。
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
御祭神二柱に関しては色々な説があり、現在の大国魂神・豊布都神に関してはぞれぞれ大和神社と石上神宮へ勧請されたという説があるようです。
各社の由緒では大国魂神さまは宮中から、石上神宮は備前国一宮の石上布都御魂神社から遷座したとされていますが、なかなかにロマンのある説だと思ってます。
👁チェックポイント‼️
御祭神二柱に関しては色々な説があり、現在の大国魂神・豊布都神に関してはぞれぞれ大和神社と石上神宮へ勧請されたという説があるようです。
各社の由緒では大国魂神さまは宮中から、石上神宮は備前国一宮の石上布都御魂神社から遷座したとされていますが、なかなかにロマンのある説だと思ってます。
《手水舎》
使われてはいないようです。
使われてはいないようです。
《拝殿内部》🙏
1974年に山火事で社殿は焼失してしまい、復興して現在は榊の木を神籬としているのみになります。
1974年に山火事で社殿は焼失してしまい、復興して現在は榊の木を神籬としているのみになります。
《第26経塚・二上山陀羅尼品》
かつては「岳の権現」として修験道の行場でもありました。
かつては「岳の権現」として修験道の行場でもありました。
《二上白玉稲荷大神》
修験道、仏教のある所稲荷あり。
いつもお世話になっておりまs(🤛
修験道、仏教のある所稲荷あり。
いつもお世話になっておりまs(🤛
《大津皇子御墓》
天武天皇さまの第3皇子でしたが後ろ盾が乏しく、謀反の嫌疑をかけられて24歳で自害されました。後継ぎとしての政争に負けてしまった悲しき皇子です。
天武天皇さまの第3皇子でしたが後ろ盾が乏しく、謀反の嫌疑をかけられて24歳で自害されました。後継ぎとしての政争に負けてしまった悲しき皇子です。
すてき
投稿者のプロフィール
神祇伯1464投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(11/3更新)
御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。
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