いかるがじんじゃ
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楽しみ方斑鳩神社のお参りの記録一覧

天慶年間に法隆寺の管主で菅原氏の湛照が創祀し、元亨4年に僧・慶祐が社殿を造営したとの記録がある。当初は天満山の西麓に位置し境内に如法経堂という堂があったが、寛文年間に火災で全焼した。寛文8年に神殿が再建された後、水害のため享保10年に現在と同じ山上に移ったと伝えられる。明治2年には、法隆寺境内にあった総社明神、五所明神、白山権現が遷祀された。




天慶年間(938年~947年)法隆寺九代別当・堪照僧都(菅原氏末裔)が菅原道真を祀ったのが始まり。
1324年僧・慶祐は法隆寺の鬼門にあたる現在地へ遷座した。
明治の神仏分離まで法隆寺の鎮守であった。

拝殿

拝殿

拝殿


本殿

本殿

本殿

本殿

五所社・惣社

本殿・厳島社、大将軍社、白山社


恵比寿社


法隆寺の駅からずーっと「斑鳩神社」の幟が立っていたので探して行ってみることに。なかなか山登りでしたが張りました。もちろん歩き。神社は無人でした。でも斑鳩という土地にきて斑鳩神社にお参りできたのは嬉しい

途中の畦道に咲いていました。北海道にはないので奈良に来てから写真撮りまくりです。










法隆寺に参拝した後、時間があったので周辺散策をしたときに見つけました。
なんというか小高い丘の上にあるので階段を上るのですが鳥居前の池から夕暮れまじかの陽光がきらめいて、なんと絵になる風景かと感動しました。
元は法隆寺の境内にあった神社さんだったそうで、前の人工池をつくる際、土が盛られた小山が傍にできたので、移転するのなら高台でと思っていたのでそこに移転したとか。明治の神仏分離令は日本の信仰を破壊する行為だとまた思ってました。
だってここ、法隆寺の鎮守社だったそうなんですよね。
ここに移転してから近所の住民がお金を出し合って社殿を建設し、今でも丁寧に維持されてるとか・・・。
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