そくじょうじ|日蓮本宗|寿量山
寿量山 速成寺の御由緒・歴史
歴史詳細情報
速成寺縁起
寛永17年(1640年)2月、郡山藩主本多内記政勝侯御眼病の処、御内室(本多肥後守政貞様御母公)照善院様は、眼病平癒せしめんと欲して、種々丹誠をこらしておりました処、或夜、夢に丑寅(北東)に霊仏一躰が安置されて有りとの御告げを蒙りました。
数多くの御家来衆を以って探索致させました処、小川町(現北郡山町)と言う処に、庵室があって、ここに日蓮大聖人の木像一体が安置されて有る事が判明致しました。そこで照善院様は祈願の為参籠致し、祈念致しましたところ3日目にして全快致しました。それより、あまたの人々がこの噂を聞き、参籠し眼病全快の利益を被る者多数に至りました。
寛永19年(1642年)9月に小川町にありました庵室を照善院様は現在地の矢田口に移転、再建なされました。また照善院様の子息本多肥後守様の御家来で、中山久左衛門と申すものがおり速成院日寿と称し江戸に住居しておりましたので、肥後守様が召し寄せられ速成院開山上人といたされました。
その後、御城主歴代も眼病平癒の祈願所とされ深く信仰なされました。
寛文11年(1671年)10月晦日父の本多内記政勝侯(長徳院殿前拾遺泰譽迎和道永大居士)が江戸柳原屋敷にて、58歳で亡くなられましたので、照善院様、実子肥後守様が本願主となられ速成院を長徳院殿の菩提所といたされ建立なされました。(本多政勝侯の生涯について、詳しくはこちらをクリック下さい。)
その後、宝暦2年(1752年)9月、五世龍蔵院日貫より御奉行所へ、速成院を速成寺と改めたいむね願い出て許され、寿量山速成寺として今日に到っております。
また、速成寺の歴史を振り返ると、本多家より柳沢家に領主が変り、明治の廃仏毀釈の影響でお寺は衰微し、無住の時代もあり、本多家の元家来筋の方々により、細々とお寺は護寺されておりましたが、近年廃寺にする事も決定される有様でした。それを知った現在第31世の住職は、お寺は長い歴史と、有縁の方々の努力により今まで維持されておった事を考えても、到底お寺を廃寺にする事は反対であると、本山に申し入れ、住職就任後、旧堂を壊し土地を整地し、旧来の墓地の美観を整え、約10年間の様々な困難を乗り越え、周囲の方々の憩いの場として、平成26年末、速成寺は歴史的権威と静寂の中、生まれ変わりました。
平成27年4月19日には落慶法要を厳修、成満いたしました。
第31世住職就任時には檀信徒数件のお寺を引き継ぎ、その後院代を中心に日々布教活動を行い、これから未来永劫郡山藩主本多政勝侯菩提寺の寿量山速成寺(そくじょうじ)が護持発展できるように寺族一同開かれたお寺を目指し日々精進してまいります。
合 掌
ご本尊 | 大曼荼羅御本尊 | |
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創建時代 | 1635年 | |
開山・開基 | 速成院日寿大徳 | |
ご由緒 | 寛永17年(1640年)2月、郡山藩主本多内記政勝侯御眼病の処、御内室(本多肥後守政貞様御母公)照善院様は、眼病平癒せしめんと欲して、種々丹誠をこらしておりました処、或夜、夢に丑寅(北東)に霊仏一躰が安置されて有りとの御告げを蒙りました。
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