まんなおしじぞうそん
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楽しみ方まんなおし地蔵尊のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月25日(木) 22時50分12秒
参拝:2026年5月吉日
まんなおし地蔵尊は奈良市にある地蔵尊です。
こちらは祠だけの地蔵尊ではなく 立派なお堂があり 由緒ある地蔵尊です。
飛鳥神社から北上 ならまちに向かう途中にありました。
道から少し奥まった場所にあり お堂の前は駐車スペースになっていました。
通りがかりにお見かけし お寺だと思って参拝しようと思ったのです。
ですが寺号の石柱はなく お堂に由来書があって 地蔵尊だと分かりました。
お堂の戸は閉まっていて ガラス越しに中を覗いてみたのですが このタイプのガラスは中が見えませんでした。
猫ちゃんが住み着いているようですが 人慣れはしておらず そそくさと逃げていきました。
お堂前で合掌し 由来書をもういちど読み直しました。
瓦堂町 まんなおし地蔵尊由来書
この御堂におまつりしてあるまんなおし地蔵尊は 奈良国立博物館の推定によると ほゞ12-13世紀頃(藤原時代ー鎌倉時代初期)の作といわれる由緒ある仏像である。
当初 このまんなおし地蔵尊は 瓦堂町一番地近くにまつられていたが 次第に給仕する人がいなくなったため一八五一年(江戸時代嘉永四年)鳴川町の徳融寺に客仏として預けられた。
当時 徳融寺には 明意(河内八尾清慶寺の僧)という霊験あらたたかな行者上人が逗留しておられ境内に地蔵堂を建立されていたため その機縁によって預けられたという。
ときあたかも 永い風雪に耐えてこられたまんなおし地蔵尊も そのお体の一部が破損していたため その修復をし 併せて御供養のため全身に極彩色を施して現在の地蔵尊の御姿になったと伝承されている。
その修理代と化粧代に壱両弐分を要したと云われる。
やがて 昭和二十八年(預けられてから丁度百年目)になって再度 瓦堂町へお迎えすることとなり 同年十一月に現在の御堂が完成同月二十二日 三百余名の参列者がお迎えするなか めでたく御入仏され 現在に至っている。
瓦堂町自治会
こちらは祠だけの地蔵尊ではなく 立派なお堂があり 由緒ある地蔵尊です。
飛鳥神社から北上 ならまちに向かう途中にありました。
道から少し奥まった場所にあり お堂の前は駐車スペースになっていました。
通りがかりにお見かけし お寺だと思って参拝しようと思ったのです。
ですが寺号の石柱はなく お堂に由来書があって 地蔵尊だと分かりました。
お堂の戸は閉まっていて ガラス越しに中を覗いてみたのですが このタイプのガラスは中が見えませんでした。
猫ちゃんが住み着いているようですが 人慣れはしておらず そそくさと逃げていきました。
お堂前で合掌し 由来書をもういちど読み直しました。
瓦堂町 まんなおし地蔵尊由来書
この御堂におまつりしてあるまんなおし地蔵尊は 奈良国立博物館の推定によると ほゞ12-13世紀頃(藤原時代ー鎌倉時代初期)の作といわれる由緒ある仏像である。
当初 このまんなおし地蔵尊は 瓦堂町一番地近くにまつられていたが 次第に給仕する人がいなくなったため一八五一年(江戸時代嘉永四年)鳴川町の徳融寺に客仏として預けられた。
当時 徳融寺には 明意(河内八尾清慶寺の僧)という霊験あらたたかな行者上人が逗留しておられ境内に地蔵堂を建立されていたため その機縁によって預けられたという。
ときあたかも 永い風雪に耐えてこられたまんなおし地蔵尊も そのお体の一部が破損していたため その修復をし 併せて御供養のため全身に極彩色を施して現在の地蔵尊の御姿になったと伝承されている。
その修理代と化粧代に壱両弐分を要したと云われる。
やがて 昭和二十八年(預けられてから丁度百年目)になって再度 瓦堂町へお迎えすることとなり 同年十一月に現在の御堂が完成同月二十二日 三百余名の参列者がお迎えするなか めでたく御入仏され 現在に至っている。
瓦堂町自治会
すてき
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くるくるきよせん3601投稿
「すてき」 をくださるみなさま、ありがとうございます。 拙い投稿ですのに、本当に感謝しかありません。 2022年の正月に、ふと思い立って古都の寺社巡りを始めました。 由緒書きを読んだり、お話を伺...もっと読む
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