だいあんじ
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大安寺ではいただけません
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大安寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月21日(日)
参拝:2024年1月吉日
【大安寺(だいあんじ)】
本尊:十一面観音
宗派:高野山真言宗
開基:舒明天皇(じょめいてんのう)
大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝(くまごり)道場を創建したことに始まるという。やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となった。百済大寺は、聖徳太子の遺言により舒明(じょめい)天皇の造営によるもので、造営は皇后の皇極天皇に引き継がれている。天皇家が威信をかけて造営した最初の官立寺院であった。平城京に移った大安寺の南大門は平城宮の朱雀門と同じ規模を持つ重層の楼閣で、はるか南に七重塔が二基、東塔、西塔とそびえていたという。しかし、次第に衰退し、現在境内の広さは最盛期の約1/25となり、南都七大寺の中では一番小さい寺となっている。江戸、明治期は廃寺のようであったそうだが、近年は「がん封じ」の祈願寺として知られている。
南都七大寺4番、大和路秀麗 八十八面観音巡礼 で参拝。
本尊:十一面観音
宗派:高野山真言宗
開基:舒明天皇(じょめいてんのう)
大安寺は、聖徳太子が平群郡額田部に熊凝(くまごり)道場を創建したことに始まるという。やがて百済大寺、高市大寺、大官大寺と名と所を変え、平城京に移って大安寺となった。百済大寺は、聖徳太子の遺言により舒明(じょめい)天皇の造営によるもので、造営は皇后の皇極天皇に引き継がれている。天皇家が威信をかけて造営した最初の官立寺院であった。平城京に移った大安寺の南大門は平城宮の朱雀門と同じ規模を持つ重層の楼閣で、はるか南に七重塔が二基、東塔、西塔とそびえていたという。しかし、次第に衰退し、現在境内の広さは最盛期の約1/25となり、南都七大寺の中では一番小さい寺となっている。江戸、明治期は廃寺のようであったそうだが、近年は「がん封じ」の祈願寺として知られている。
南都七大寺4番、大和路秀麗 八十八面観音巡礼 で参拝。
【南門】
【手水舎】
【本堂】
【いのちの小径】
【いのちの碑】
心臓病をささえているペースメーカーが埋め込まれています。
心臓病をささえているペースメーカーが埋め込まれています。
【美流孔(みるく)塚】
乳癌治癒の祈願塚。
乳癌治癒の祈願塚。
【だるまみくじ】
【護摩堂】
【小子坊・嘶堂】
【嘶(いななき)堂】
本尊に馬頭観音を安置することから、嘶堂と名付けたようです。
本尊に馬頭観音を安置することから、嘶堂と名付けたようです。
【インド八大聖地・四国八十八箇所 お砂踏み霊場】
【インド八大聖地・四国八十八箇所 お砂踏み霊場】
【十三重石塔】
【東塔跡】
【西塔跡】
【十一面観音立像:参拝朱印帳】
★がん封じの仏さまとして崇敬される★
本堂のご本尊である十一面観音立像は、がん封じの仏さまとして、 多くの人に信仰されています。日頃、観音さまの前には御簾(みす) が下がっていて直接見ることはできませんが、じっと拝していると御簾を透かして、 その優美なシルエットがほのかに現れてきます。ご開帳の時期には全身をしっかり拝することができ、 精巧に刻み出された華麗な胸飾りに惚れ惚れします。柔らかなラインを描くお体に、 天衣が纏い流れる様がなんとも美しい観音さまです。(HP大和路秀麗 八十八面観音巡礼より)
★がん封じの仏さまとして崇敬される★
本堂のご本尊である十一面観音立像は、がん封じの仏さまとして、 多くの人に信仰されています。日頃、観音さまの前には御簾(みす) が下がっていて直接見ることはできませんが、じっと拝していると御簾を透かして、 その優美なシルエットがほのかに現れてきます。ご開帳の時期には全身をしっかり拝することができ、 精巧に刻み出された華麗な胸飾りに惚れ惚れします。柔らかなラインを描くお体に、 天衣が纏い流れる様がなんとも美しい観音さまです。(HP大和路秀麗 八十八面観音巡礼より)
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