やくしじ
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薬師寺ではいただけません
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薬師寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2017年07月03日(月)
私も書きたいと思うので追加記事として書かせていただきます。
かつて、「タレント坊主」と揶揄されながらも薬師寺復興のため奔走された故高田 好胤元管主が「お写経」という方法で寄付を集い今の金堂が再建されました。
寄付されたお写経は金堂及び講堂に今も安置されています。そして伽藍復興のために今もその方法は継続されています。
元々薬師寺は東大寺や興福寺同様に学僧寺であった為、檀家が一人もおりません。そんな状況での復興は並大抵ではなかったようです。しかし、口伝えに人が増え、次々に白鳳伽藍が復興されるのは圧巻です。
そして「西遊記」の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵のお話ですが、玄奘三蔵の遺骨を発見したのは日本軍だったそうです。
後日、それを中国に返した折、発見したのは日本人なのでという事で分骨を申し出して下さいました。その一部が法師ゆかりのこのお寺で供養することとなり三蔵玄奘伽藍が建立されました。
中には今ではもう見ることのできない(宅地開発のため)シルクロードの景色をスケッチし描かれた平山郁夫画伯の壁画が展開してます。
毎年GWに玄奘三蔵会が執り行われます。
ちなみにサンスクリット語の「般若心経」を漢字に起こしたのはこの方です。
近鉄西ノ京駅は既に薬師寺の伽藍内になるようで、駅には石塔が建っています。
平日は西大寺から普通でないと停車しませんが、土日祝日は急行でも西ノ京で停車します。
駅を降りたらすぐ薬師寺です。
先ごろ食堂も建立され、さらに伽藍が増えた様子です。
かつて、「タレント坊主」と揶揄されながらも薬師寺復興のため奔走された故高田 好胤元管主が「お写経」という方法で寄付を集い今の金堂が再建されました。
寄付されたお写経は金堂及び講堂に今も安置されています。そして伽藍復興のために今もその方法は継続されています。
元々薬師寺は東大寺や興福寺同様に学僧寺であった為、檀家が一人もおりません。そんな状況での復興は並大抵ではなかったようです。しかし、口伝えに人が増え、次々に白鳳伽藍が復興されるのは圧巻です。
そして「西遊記」の三蔵法師のモデルとなった玄奘三蔵のお話ですが、玄奘三蔵の遺骨を発見したのは日本軍だったそうです。
後日、それを中国に返した折、発見したのは日本人なのでという事で分骨を申し出して下さいました。その一部が法師ゆかりのこのお寺で供養することとなり三蔵玄奘伽藍が建立されました。
中には今ではもう見ることのできない(宅地開発のため)シルクロードの景色をスケッチし描かれた平山郁夫画伯の壁画が展開してます。
毎年GWに玄奘三蔵会が執り行われます。
ちなみにサンスクリット語の「般若心経」を漢字に起こしたのはこの方です。
近鉄西ノ京駅は既に薬師寺の伽藍内になるようで、駅には石塔が建っています。
平日は西大寺から普通でないと停車しませんが、土日祝日は急行でも西ノ京で停車します。
駅を降りたらすぐ薬師寺です。
先ごろ食堂も建立され、さらに伽藍が増えた様子です。
すてき
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