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こうぜんじ|曹洞宗黒島山

興禅寺
長崎県 相浦駅

興禅寺について

多くの潜伏キリシタンが暮らしていた佐世保市黒島。その多くがキリスト教が解禁されるまで興禅寺の檀家として信仰を続けていました。
参拝時の写真を黒島ウェルカムハウスで見せると御朱印が頂けます。

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高砂あさっぴー
高砂あさっぴー
2025年05月20日(火) 08時19分00秒
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佐世保市黒島にある曹洞宗のお寺。
黒島の海が見える気持ちの良い場所にあります。江戸時代から島にあるお寺で海賊討伐の功で黒島を与えられた西家のお墓があります。
黒島に隠れキリシタン達が移住した際その多くが興禅寺の檀家となりました。現在はありませんが昔はマリア観音も祀られていたお寺です。明治になりキリスト教が解禁されると多くの檀家が信仰を打ち明けたそうです。また元から島に暮らしていた檀家の人々は生活の中で移住してきた人々が隠れキリシタンだと薄々気付きながらそれを黙って共生していました。本堂の釣鐘は島民から寄付を募って造られたもので寄進者には隠れキリシタンの人々もいました。興禅寺は宗教の調和という平和を考えさせてくれるお寺です。
興禅寺のある本村集落にはかつて庄屋屋敷がありクルスを踏む絵踏が行われていました。当然その中には隠れキリシタン達もいたようです。現在黒島天主堂さんでは毎週金曜日に絵踏をした先祖の罪を贖罪するミサが行われています。
黒島ウェルカムハウスで興禅寺で撮影した写真を見せると書き置きの御朱印が頂けます。他にも黒島神社さんと黒島天主堂さんの御朱印もあり黒島オリジナルの御朱印帳も購入できますよ。

興禅寺の本殿・本堂

参道と本堂

興禅寺の山門・神門

山門

興禅寺の本殿・本堂

本堂
戸の左上に隠れキリシタンも寄進した釣鐘があります

興禅寺の本殿・本堂

御本尊前

興禅寺の手水舎

手水

興禅寺の感染症対策

消毒液

興禅寺の歴史

由緒書

興禅寺の周辺

本村集落と庄屋屋敷跡

興禅寺の御朱印帳

黒島ウェルカムハウスで買える黒島オリジナル御朱印帳

興禅寺の末社・摂社

興禅寺の末社・摂社

稲荷祠

興禅寺の周辺

黒島ウェルカムハウス
興禅寺の缶バッチ

興禅寺の周辺

かっぱ塚
現在は見当たりませんでした

興禅寺の本殿・本堂

本堂内

興禅寺の歴史

黒島ウェルカムハウスに貼ってあった由緒書

興禅寺のお墓

西家墓所

興禅寺の歴史

西家墓所

興禅寺の自然

境内

興禅寺の自然

境内

興禅寺のその他建物

寺号標

興禅寺の周辺

本村公園(庄屋屋敷跡)

興禅寺の周辺

お昼ご飯は海鮮味処さざんかさん

興禅寺の周辺

海鮮味処さざんかさんの黒島で捕れた海鮮を使ったご飯
事前予約が必要です

興禅寺の景色

境内から見た黒島の景色

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歴史

黒島はカトリックの島というイメージが大きいですが、本村(ほんむら)地区には寺院があります。
 曹洞宗興禅寺(そうとうしゅうこうぜんじ)といい、平戸津吉にある長泉寺の末寺で、黒島土地開拓により急激な人口増加に伴って造られました。
 釈迦堂というところに長泉寺の隠居所として建てたいと平戸藩に願いでて1803年頃に創設。
 藩としても寺請制度のもと、なんとかカトリック信者を仏教徒として管理をするための策でもあったようです。
 多くの潜伏キリシタンが表面上は寺院の檀家となりながらも密かにマリア像を隠し持っていたなど、信徒発見後の、信仰を表明した信徒数の数に住職も驚かれたそうです。
 明治以前の過去帳には、カトリック地区の人の名前も記載されていたらしく、興禅寺からマリア像が見つかったこともあり、潜伏キリシタンの存在に気付きつつも檀家として扱っていたようです。
 興禅寺がある本村地区は、黒島神社や本村役所がおかれるなど、藩政時代の中心集落でした。
寺のすぐそばには、平戸藩の役所もありました。
(黒島観光協会公式HPから引用)

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興禅寺の基本情報

住所

長崎県佐世保市黒島町69

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

興禅寺

読み方

こうぜんじ

トイレ本堂内の左側廊下奥
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きなし
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号0956-56-2020
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://kuroshimakanko.com/index.php/view/70

詳細情報

ご本尊釈迦牟尼仏
山号

黒島山

宗旨・宗派曹洞宗
創建時代

1700年代

開山・開基

泰霊禅山

文化財

黒島の集落(世界遺産)

ご由緒

黒島はカトリックの島というイメージが大きいですが、本村(ほんむら)地区には寺院があります。
 曹洞宗興禅寺(そうとうしゅうこうぜんじ)といい、平戸津吉にある長泉寺の末寺で、黒島土地開拓により急激な人口増加に伴って造られました。
 釈迦堂というところに長泉寺の隠居所として建てたいと平戸藩に願いでて1803年頃に創設。
 藩としても寺請制度のもと、なんとかカトリック信者を仏教徒として管理をするための策でもあったようです。
 多くの潜伏キリシタンが表面上は寺院の檀家となりながらも密かにマリア像を隠し持っていたなど、信徒発見後の、信仰を表明した信徒数の数に住職も驚かれたそうです。
 明治以前の過去帳には、カトリック地区の人の名前も記載されていたらしく、興禅寺からマリア像が見つかったこともあり、潜伏キリシタンの存在に気付きつつも檀家として扱っていたようです。
 興禅寺がある本村地区は、黒島神社や本村役所がおかれるなど、藩政時代の中心集落でした。
寺のすぐそばには、平戸藩の役所もありました。
(黒島観光協会公式HPから引用)

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