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清水寺ではいただけません
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清水寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月04日(木)
参拝:2023年2月吉日
【肥前國 古刹巡り】
清水寺(きよみずでら)は、長崎県長崎市鍛冶屋町にある真言宗霊雲寺派の寺院。山号は長崎山。本尊は千手観音菩薩。本堂、不動明王三童子像は国指定の重要文化財。
創建は江戸時代初期の1623年、京都音羽山清水寺光乗院の僧・慶順が全国巡錫の末当地で堂宇を建立したのが始まり。長崎奉行・長谷川権六は寺院建立の敷地を与え、島原城主・松倉豊後守重政は京都「清水の舞台」を擬して、堂前に石欄等を建造した。1668年には唐商・何高材の寄進により現在は国指定の重要文化財となっている本堂が建立されている。1695年からは久留米藩主・有馬氏から十人扶持の寄進を受け、廃藩置県の1871年まで続いた。
当寺は、長崎電気軌道・崇福寺駅の北東100mの小高い丘の上にある。境内は八坂神社と隣接していて、ともに入口は低い位置にあって小丘を登ることになるが、当寺本堂からは八坂神社社殿に直接行くこともできる。境内はけっこう広々としていて、本堂を含め大きな建物がいくつか建っているが、それでも広い印象を受ける。草木は少なめで明るく、境内からの見晴しも非常に良い。
今回は、本堂が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、地元の人が見晴し台で休憩している以外は、自分以外に特に参拝者は見掛けなかった。
境内西端入口から階段を登り切ったところにある<中門(石門)>。
石門の左側にある<鐘楼>。
中門の右側にある<水屋>。
水屋近くから見た<本堂>。1668年に唐商・何高材が日本人妻の菩提を弔うために子の兆晋、兆有とともに寄進再建したもの。
なお何高材は崇福寺の大雄宝殿(国宝)をも寄進した人物。
なお何高材は崇福寺の大雄宝殿(国宝)をも寄進した人物。
<本堂>正面。「慈悲世界」の扁額が懸かる。
外観は日本様式に見えるが、内部は外陣に船底型の黄檗天上を架け、虹梁を受ける組物に挿肘木を用いるなど、
中国様式の混入が著しいとのこと。
外観は日本様式に見えるが、内部は外陣に船底型の黄檗天上を架け、虹梁を受ける組物に挿肘木を用いるなど、
中国様式の混入が著しいとのこと。
本堂前からの眺め。長崎市南西部の景色。
本堂は当初、京都の清水寺を倣って木造懸造の舞台を持つ構成だっただけあって眺めは良好!(o^―^o)
本堂は当初、京都の清水寺を倣って木造懸造の舞台を持つ構成だっただけあって眺めは良好!(o^―^o)
本堂の右側面(南側)にある納経所。御朱印はこちら。
中門前まで戻って奥を望む。いろいろありそうなので見に行ってみる。
突き当りにある<櫻姫稲荷神社>の鳥居。
あれ?隣の八坂神社の境内社と同じ社名。これは面白い。(o^―^o)
あれ?隣の八坂神社の境内社と同じ社名。これは面白い。(o^―^o)
写真中央上部にあるのが、<櫻姫稲荷神社>の石製の社殿。
櫻姫稲荷神社の左手(北側)にある<六地蔵>と<不動明王像>など。
六地蔵の左手(北側)にある<仏塔>など。
仏塔の左手(北側)にある<庫裏>。
境内中央広場から見た<本堂>北側。本堂は上から見ると正方形をしているみたい。
境内北側にある<大師堂>。長崎四国八十八ヶ所16番霊場となっている。
大師堂の左側(西側)の奥には、隣の<八坂神社>に通じる階段がある。
最後に、<本堂>全景と<芭蕉句碑(花見塚)>。
なかなか大きく立派な寺院。境内も景色も気持ちが良い! (^▽^)/
なかなか大きく立派な寺院。境内も景色も気持ちが良い! (^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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