さんのうじんじゃ
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楽しみ方山王神社のお参りの記録一覧
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諏訪神社から戻り、ホテルで朝食を済ませ一息入れてから本日の予定をこなす。
長崎駅→平和公園→浦上天主堂→山王神社→二十六聖人殉教地→
→本日の宿【グラバー園近く】…
市電【チンチン電車】は便利ですね~。一日券600円をホテルで購入して使い倒しました。
6年前、末娘の高校卒業に併せて長崎に来たことがありますが、その時、平和公園の銅像は
「修理中」のため、カバーに覆われていて拝むことができなかったので本日はリベンジです。
昨日、東京は、11度と12月上旬の寒さでしたが、本日の長崎は25度近くあり、東京を出てきた
いで立ちで歩き回ると汗ばむ陽気でした。
公園は小学生の修学旅行や、大陸系の超団体客、欧米人の個人ツアーなどで、平日なのにそこそこの混雑ぶりです。
ここから、浦上天主堂の礼拝堂を巡り、山王神社へ…
やや下り坂の道ですが、それなりの距離があり、足にきました。
【長崎は、坂・階段が多く、健脚でないと徒歩での散策はキツイですね】
メインの通りを左に曲がると石段があり、その上に一本鳥居が。
そこから少し歩くと境内があり、大きな・巨大なクスノキ!!
とにかく、クスノキは圧巻です。
平日でしたが、このクスノキ目当ての参拝者がそこそこいらして入れ替わり立ち替わり、
お参りされていました。
私も、強い生命力に肖れるよう、お参りの他、お守りをカミさんと一緒に買い求めました。

福山雅治さんの歌にも出てくる一本鳥居【歌の中では片足鳥居】です。
片方は、原子爆弾の爆風により破壊されたとのことですが、下に部品の写真を載せてます。
こちらは、階段の下から見上げた鳥居

こちらは、礎のところからの写真です。9年前の熊本地震でもバランスを保っているのですね…

長崎市坂本にある神社。
山王神社と皇大神宮が合併した神社で別名を浦上皇大神宮といいます。
1945年昭和20年8月9日午前11時2分、広島に続いてアメリカ軍による原子爆弾投下による核攻撃が長崎で行われました。爆心地から半径800メートル内の山王神社と坂本町も被害に遭い多くの尊い命が犠牲となりました。山王神社は原爆の被害を今に伝える神社です。原爆により片側だけ倒壊した二の鳥居はその代表的な物で片足鳥居や一本鳥居とも呼ばれています。すぐ傍には崩れた片側の鳥居の残骸が今も並べられていました。これを見ると原爆の威力がどれほどのものだったのか考えてしまいゾッとしました。原爆資料館には倒壊する前の二の鳥居の写真を見ることが出来ます。また一の鳥居は爆風に対して横に水平だった為に倒壊せず残っていました。残念なことにその後交通事故で倒壊してしまい現在は基礎を残すのみとなっています。もう一つこの神社を代表するものに二本の大楠があります。樹齢5〜600年の大楠は原爆の爆風に晒され焼かれながらも2ヶ月後には新たな葉を生やし人々を元気付けました。現在は沢山の葉を茂らせています。平成になり中の空洞を調べた際に被爆当時に入り込んだとされる石が発見され原爆の威力を物語っています。大楠の保全のため募金箱が設置されていて他にもタヌキ手ぬぐいを購入すると全額大楠保全の募金になります。2度目と核兵器が使用されないよう平和を祈ってきました。その後社務所で浦上皇大神宮山王神社と書かれた御朱印を頂きました。




山王神社は、長崎県長崎市坂本町に鎮座している。JR長崎本線の浦上駅、あるいは長崎電気軌道の浦上駅前電停から、ゆるやかな上り坂を進み、石段を踏みしめながら歩くことおよそ十二分で到着する。
この神社の所在地は、原子爆弾の爆心地から約八百メートルという至近距離である。昭和二十年八月九日午前十一時二分、空に閃光が走り、直後に衝撃波と熱線が街を焼き尽くした。その瞬間、この地にいた人々がどのような運命を辿ったのかは、もはや説明を要しない。命を奪われた者、深い傷を負った者、その後も生きながら苦しみ続けた者──その姿は想像に難くない。
境内には、今も「一本柱鳥居」と呼ばれる鳥居の残骸が立っている。本来は二本の柱で支えられていたが、爆風によって片方が吹き飛ばされ、片脚だけで立ち続けている姿が、耐え抜いた証として訪れる者の胸を打つ。また、参道脇には被曝したクスノキがそびえ立つ。かつて爆風と熱線によって幹は裂け、枝葉は焼かれたが、幹の奥深くに宿る生命は途絶えなかった。焦げ跡を残したまま新芽を吹き返し、いまも青々と枝を広げている。その姿は、戦火を越えて生き延びた街と人々の象徴である。
この一本柱の鳥居とクスノキは、声を発することはない。しかし、その静かな佇まいこそが、あの日の記憶と無念、そして再生の力を雄弁に物語っている。訪れる者は、言葉を交わすことなく、ただ立ち尽くし、深く頭を垂れることになるのである。
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【肥前國 古社巡り】(長崎11社スタンプラリー / 11社目 コンプリート)
山王神社(さんのう~)は、長崎県長崎市坂本にある神社。旧社格は県社。祭神は正殿が天照皇太御神、豊受比賣神、大山咋神、左殿が大物主神ほか6柱、右殿が経津主神ほか2柱。
江戸時代前期の1638年に徳川幕府老中・松平伊豆守信綱により、景勝が近江の坂本(日吉大社の所在地)に似ていることから、山王権現の勧請を進言され当地に創建された。創建時は真言宗延命寺の末寺の「白厳山観音院円福寺」と称していたが、明治に入り「山王日吉神社」、近隣の皇太神宮を合祀して「浦上皇太神宮」と改称した。1945年に米軍により投下された原子爆弾の爆心からほど近かったため壊滅的被害を受けたが、氏子をはじめとする人々の努力で復興、1949年には例祭を復活している。原爆遺物としては参道の「石製片足鳥居」や境内入口の「楠の巨木」がある。
当社は、JR長崎本線・浦上駅の北東500mの傾斜地の住宅街の中にある。平地の市街地から数十段の階段を登るとまず鳥居の半分だけが残った「石製片足鳥居」があり、住宅街の狭い道を抜けると境内がある。境内入口には「楠の巨木」があり、原爆被害の説明板が並んでいる。東西に長く参道を進むと最奥にしっかりとした社殿がある。
今回は、長崎11社スタンプラリーの1社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外には特に参拝者は見掛けなかった。

境内西方の当社に向かう階段。ここを登って行くと、、、

階段の上にある<石製片足鳥居>。この場所は長崎原爆の爆心地からおよそ800m。爆風にさらされても残っている。
象徴的な原爆遺構。



今年に入り三度目の長崎。 息子が友人の結婚式に出席の為帰省。 ならば息子を長崎に送り届け、お嫁ちゃんの顔を見に一泊しよう!ってな事になりin長崎Ⅲです。
前回長崎11社スタンプラリーの続きもできました。 息子は長崎で毎年スタンプラリーはやってるようで、今回は息子が午前中だけ休んでくれて案内してくれサクサク神社⛩️巡りが出来ました。
さて今日一社目は山王神社⛩️。
こちらの鳥居と大楠を見る事で、原爆の凄まじさ、恐ろしさを…。
戦争は怖いです。 世界平和を🕊️祈願せずにはいられません。 隣接する附属の幼稚園から聞こえてくる園児ちゃん達の可愛い声を聞くとなおさらそう感じます。
長崎に来られましたら、是非こちらにお詣りされて下さい。
この日宮司さんもおられ御朱印もいただけました✨
〜 〜 〜
山王權現社創立 寛永15年(1638)松平伊豆守信網が、島原の乱より帰途、此の地通過の際、景勝が近江叡山の下に似て又地名も坂本と同じ事から、ここに山王槿現を観請してはとの事で、 時の長崎代官末次平蔵茂房が長崎奉行と計り、此の地(現在地でなくも近くと思われる。又一説によれば岡町付近の説あり)に廟宇を建て、寺町延命寺開墓龍宣を兼職とす。
御祭神 大國主命 大山昨命 大年命を主祭神として奉祀した。
(山王神社さんのホームページより)
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