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慈雲寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年11月14日(日)
参拝:2021年10月吉日
「白華山 慈雲寺」(じうんじ)は諏訪大社下社春宮から程近くにある、戦国時代には武田信玄により中興開基された寺院。本堂裏の池泉庭園は武田信玄の命によるとも伝わり、また本堂・書院前には枯山水庭園“帰錫庭”や書院庭園が広がります。
慈雲寺の創建は1300年(正安2年)。鎌倉の大寺院『建長寺』の住職も務められた一山一寧国師により、諏訪大社下社の神官の最高位“大祝”を務めた金刺満貞を開基として創建。一山一寧国師は地元の中国にならって日本初の八景“諏訪八景”を選定。この慈雲寺も“慈雲晩鐘”として選定されています。
その後、京都『建仁寺』の住職も務めた鎌倉〜室町の著名な禅僧のひとり・雪村友梅禅師も慈雲寺に入るなど信州を代表する寺院の一つとして発展。
戦国時代には甲斐『恵林寺』の住職も務めた天桂玄長禅師が入り、その縁で武田信玄の援助により境内が整備。現在でも寺紋には武田菱が用いられています。ただし武田信玄により整備された伽藍はその後焼失、現在残る本堂や山門は江戸時代中期〜後期に再建されたもの(下諏訪町指定有形文化財)。
本堂に掲げられている扁額は一山禅師に帰依していた後宇多法皇による筆…などなど、所蔵されている仏像や前述の町指定文化財の本堂や山門の棟梁まで判明してリーフレットに紹介されています。
慈雲寺の創建は1300年(正安2年)。鎌倉の大寺院『建長寺』の住職も務められた一山一寧国師により、諏訪大社下社の神官の最高位“大祝”を務めた金刺満貞を開基として創建。一山一寧国師は地元の中国にならって日本初の八景“諏訪八景”を選定。この慈雲寺も“慈雲晩鐘”として選定されています。
その後、京都『建仁寺』の住職も務めた鎌倉〜室町の著名な禅僧のひとり・雪村友梅禅師も慈雲寺に入るなど信州を代表する寺院の一つとして発展。
戦国時代には甲斐『恵林寺』の住職も務めた天桂玄長禅師が入り、その縁で武田信玄の援助により境内が整備。現在でも寺紋には武田菱が用いられています。ただし武田信玄により整備された伽藍はその後焼失、現在残る本堂や山門は江戸時代中期〜後期に再建されたもの(下諏訪町指定有形文化財)。
本堂に掲げられている扁額は一山禅師に帰依していた後宇多法皇による筆…などなど、所蔵されている仏像や前述の町指定文化財の本堂や山門の棟梁まで判明してリーフレットに紹介されています。
すてき
みんなのコメント(2件)
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のぶさん。
お久しぶりです🤗
山門までの参道などの画像 厳かでいいですね😉 タイムスリップしたみたいで信玄公が出てきそうです。
戦国時代一の武将のイメージが強いですがこのような事にも手厚い方だったんですね😉
本堂庫裡玄関にある屏風が気になります。
2021年11月14日(日)
keithさん、ご無沙汰です😊
山門までの山道、写真で伝えるのは難しいかなぁと思ってましたが嬉しいです😆
苔がいい感じで写真たくさん撮ってしまいました😁
甲斐の国は武田信玄公ゆかりの場所も多く
未だに崇拝されているようです。
武勇伝も多いですが、それ以上に領民に寄り添って統治していた事が現代でも崇拝されてる要因なのかなあとも感じます。
詳しく学んだ訳ではないので想像ですが😅
2021年11月14日(日)
投稿者のプロフィール
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のぶさん1606投稿
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