しなのこくぶんじ|天台宗
信濃國分寺のお参りの記録一覧
本尊:薬師如来
宗派:天台宗
開基:-
信濃国分寺は、長野県上田市国分(こくぶ)、千曲川の北岸に位置します。奈良時代に第45代 聖武天皇(在位:724-749)の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたるとされます。本堂の薬師堂は、八日堂(ようかどう)の別称があります。
三重塔は、現存する国分寺の塔の中で最も古いもので、国の重要文化財に指定されています。
【三重塔】
国の重要文化財。
【仁王門】
【本堂】
【寺号標】
【手水舎】
【手水舎の龍】
【本堂】
【本堂拝殿 扁額】
鎮国道場。
【本堂の白象】
【観音堂】
【観音堂 内陣】
【鐘楼】
【地蔵堂】
【三重塔】
【御朱印】
天台宗の寺院。本尊は薬師如来
奈良時代に聖武天皇により日本各地に建立された国分寺のうち、信濃国国分寺の後継寺院にあたります。
蓮子の種
三重塔 重要文化財
直接書いて頂きました。渡してくれる時、ご祈祷して頂きました。初めてでした^o^
小諸から信濃鉄道で信濃国分寺駅で降り3分くらい セルフで絵馬と絵葉書いただきました 御朱印は見つけられませんでした
仁王門
参道
本堂(薬師堂)
本堂(薬師堂)
本堂脇の象像
日本遺産の説明図
三重塔 国指定重文
三重塔
真田徳川会見の地
絵馬 1月8日の縁日にちなんだ
少しづつ暖かくなり...と思ったら、やっぱまだまだ寒いこの時期。
巣篭もりのままではイカン!と。
上田市の日中は、時折冷たい風が吹くもののお日様の光が広がる快晴。
【上田市 八日堂 信濃国分寺】
中部四十九薬師霊場第一番。
天台宗寺院・御本尊は薬師如来。
創建年は奈良時代。現在では山号、院号はありませんが、江戸時代には 浄瑠璃山真言院国分寺 と称したそうです。
毎年1月7.8日は八日堂縁日があり多くの人がおとずれますよ。
信濃國分寺
本堂 薬師堂。
江戸末期、万延元年(1860)施工。
発顔から33年の歳月を要し、東北信全域から浄財を募り建てられた壮大な伽藍。
御住職が境内のお掃除をされていました。
本堂内に入り参拝が出来ます。
中には薬師如来尊の大きな提灯が見えますね。
本堂には、鳳凰の彫刻と鬼瓦
蒼龍の彫刻
獅子と漠(象)の彫刻。
漠なのか象なのかいつも悩んでしまう。
個人的には漠に近い気がしますが、知ってますか?
大きくて立派な鬼瓦です。
本堂側面から。
鐘樓
上田藩主松平伊賀守の保護で享和元年(1801)棟上。
瓦葺の屋根の反りがとてもかっこよく感じます!
三重塔。室町中期の建立で、
和唐折衷様式との事です。
三重塔小心柱
昭和7年から8年にかけて解体修理が行われた時に心柱も取り替えました。解体時に短く切断されてますが、建立当時のままだとすると600年前の古材との事です。
現代にも通じる当時の日本の建築技術の高さと、時代を超えて残る建築材一つにも、大工さんの人柄や風景にまで思いを馳せてしまい郷愁を感じます。
東京スカイツリーと同じ建築構造と書かれてます。
観音堂です。
江戸初期の百体観音像が安置されています。
真田•徳川会見の地
第二次上田合戦の際に、真田昌幸公が徳川方に付いた真田信之等と会見を行った場所とされてます。
この関ヶ原の戦いにおける、真田一族の運命は本当に辛い。
世に言う【犬伏の別れ】は、次男の自分に当て嵌めて考えても、ずっとモヤモヤ(~_~;)←こういう感じ。
地蔵堂
地蔵尊と閻魔十王が安置されています。
地蔵堂の彫刻です。
こういうご時世なので、
書き置きにて。と張り紙がありましたが、帳面があればお書きしますよと言って頂きました。
因みに、前日は晴れ☀️のち、午後から雨、のち暴風雨、のち雪→からのブリザード。
イヤ、こえぇ((((;゚Д゚)))))))
今日は空気が澄んでいて、上空数千mの飛行機がキレイに見えました。多分松本空港に向かってます。
【蘇民将来小絵馬:信濃國分寺】
初めての上高地…
河童橋から臨む穂高連峰の勇壮な景観を期待していたのに何も見えない状況。
せっかく上高地まで来たのに、つくづく運の無さを思い知らされました(最後の写真参照)
信濃國分寺は長野県上田市国分にある天台宗の寺院。
奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、信濃國分寺の後継寺院にあたる。
境内にある三重塔は、現存する国分寺の塔の中で最も古いもので国の重要文化財に指定されています。
寺務所で拝受した「蘇民将来符」と「蘇民将来符の絵が描かれた小絵馬」
六角柱のそれぞれには「蘇民」「将来」「子孫」「人也」「大福」「長者」と書かれています。
同封の栞に「蘇民将来護符」の事が書かれていました。
【蘇民将来について】
蘇民将来とは、古代より日本各地に広まった蘇民信仰、蘇民説話にもとづくお守りです。蘇民将来という慈悲深い人にあやかって、このお守りをまつる家は厄災をのがれて代々繁栄すると伝えられています。信濃国分寺の蘇民将来符は五百年以上の伝統があり、格調の高いデザインと、地元民の手作業で作られているため全国的に有名です。毎年1月7日午後から8日の八日堂大縁日にこのお守りが授与されます。
この蘇民将来の原木はドロヤナギ (ヤマナラシ) です。木目が目立たず加工しやすいこと、薬木と言われていることなどの理由で、国分寺ではこの木を使います。蘇民将来は、昔より「蘇民講」と呼ばれる地元農民の組織によって、農閑期の仕事として作成されてきました。形が出来上がると寺に納められ、住職等によって文字や文様が書きこまれます。そしてご祈祷をした上で、縁日に授与されます。 蘇民将来は大小7種類ほどあります。また蘇民講の各家ごとに七福神の絵を描いた蘇民も人気があります(1月8日、 朝8時より)
なお、蘇民将来符は正月の縁日のみの限定です。 予約注文送付等はいたしておりません。ただし高さ3寸(約9センチ)の1種類のみは常時、国分寺にお参りの方にお頒けしております。蘇民将来は、玄関や屋内の棚、神棚などに安置します。地元の山林から切り出した貴重な原木を生で使用しております。 節目や ヒビ割れがある場合もございますが、 工芸品ではなく護符ですのでご理解下さいますようお願いいたします。
八日堂信濃国分寺
※詳しくはブログ「郷土玩具の杜」をご覧下さい。
https://folktoys.blog.fc2.com/blog-entry-362.html
入手日:2006年7月17日
掲載されている内容は当時のものです、情報が古い場合がありますのでご了承下さい。
蘇民将来の護符&絵馬
蘇民将来の絵馬
蘇民将来の説明
信濃國分寺
信濃國分寺
信濃國分寺
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