真言宗豊山派宝珠山
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楽しみ方高山寺のお参りの記録一覧

信濃三十三観音霊場第三十三番札所「高山寺」に結願証を頂きに行ってきました。2月16日には御住職が居られなかったので再訪となります。境内に積まれた雪も少しずつ片付けられて地面が大分見えるようになりました。
御朱印と結願証(お守り付)を頂いてきました。
信濃三十三観音札所結願をされた皆様へ
この度は信濃三十三観音札所御結願、誠におめでとうございます。
この観音札所を終えて、今のお気持ちはいかがでしょうか。様々なお寺、観音様にお会いになった事と存じます。
ここで信濃三十三観音札所のホームページにある言葉をご紹介いたします。
「巡礼」とは、宗教における聖地・霊場を参拝することであり「観音巡礼」は観世音菩薩に出合う旅であります。この「観音巡礼」の起源は次のような話があります。養老二年(七一八年)、大和長谷寺を開山した徳道上人が、病により仮死状態になり、そして冥土の入口で閻魔王に会ったのですが、「おまえが死ぬのはまだ許さない。世の中にはたくさん苦しんでいる人がいるのだから三十三観音霊場を作り、人々を救うため巡礼をすすめなさい。」と告げられます。そして現世に戻された徳道上人は「三十三の宝印」にしたがい、三十三の霊場を設けて庶民に巡礼を説いたと伝えられています。そして約二七〇年後、花山法王によりこの巡礼が世間に広く知れ渡るようになりました。
観音霊場とは自身を救う旅でもあり、自分以外の人を救う事ができる旅と云われております。
もし観音様に救われたと感じる事がおありになりましたら、救いを求めている方を観音霊場巡礼への旅へお誘いしてみてください。
他の人を救うために共に旅をする方を「先達(せんだつ)」と呼びます。
ぜひ、この結願をきっかけに「先達」として人々を救う巡礼者となり、再びこの信濃三十三観音札所へお戻りいただくことをお待ちしています。
信濃三十三観音札所結願所
宝珠山 高山寺

結願証

御詠歌と御朱印

結願証と一緒に頂いたお守りと高山寺由緒

結願を果たした人への文面

山門

境内

三重塔

鐘楼

観音堂への参道

石仏

参道

観音堂

供養塔

観音堂内

天井絵

龍の彫り物🐉

観音堂内

石仏

供養塔

供養塔

観音堂から振り返り

本堂

本堂扁額

鐘楼門

鐘楼門側から

高山寺からの北アルプス

高山寺からの北アルプス

信濃三十三観音霊場第三十三番札所高山寺さんにお参りしてきました。
信濃三十三観音霊場の結番のお寺さんですが、不在で書き置きの御朱印でしたので、残す豪雪地帯飯山の第十九番札所菩提院さんをお参りしてから後日直書きの御朱印を頂きに参りたいと思います。

御詠歌

駐車場から

山門

参道

三重塔

三重塔

境内

鐘楼

本堂と観音堂


観音堂参道

観音堂

観音堂

奉納絵馬

龍彫刻

天井絵

奉納絵

奉納絵

奉納三十三観音

観音堂内

本堂

本堂扁額

【宝珠山(ほうしゅさん)高山寺(こうさんじ)】
本尊:聖観音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開山:坂上田村麻呂
高山寺(こうさんじ)は、長野県上水内郡(かみみのちぐん)小川村に位置します。
平安時代、808(大同3)年の創建で、征夷大将軍の坂上田村麻呂が戦勝祈願に観音堂を建立し弘法大師自刻の聖観音菩薩像を安置したのが起源と伝わります。

【三重塔】
鎌倉幕府を開いた源頼朝によって寄進されたと伝わります。

【参道石段】

【仁王門】

【仁王 阿形像】

【仁王 吽形像】

【鐘楼門】


【鐘楼門 天井】

【本堂】


【三重塔】



【観音菩薩像・観音堂】

【観音堂】


【観音堂 天井】


【三重塔】

【観音菩薩像・鐘楼門】

【三重塔】

【山門】

【御朱印】

807年坂上田村麻呂が戦勝祈願し堂宇を建立したのが始まりと伝わる。
三重塔は1195年源頼朝の建立と伝わる。
元禄年間(1688年~1704年)老朽化で倒壊寸前となったため、木喰山居上人の勧進により1698年に再建されている。

本堂

本堂・観音堂

観音堂

観音堂



薬師堂


三重塔

三重塔

三重塔

仁王門

仁王門



鐘楼門・三重塔

鐘楼門

山門
長野県のおすすめ2選❄️
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