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田沢神明宮のお参りの記録一覧
長野県 田沢駅

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てけてけ
てけてけ
2024年05月19日(日)549投稿

安曇野市田沢から大口沢に抜ける(松本市四賀や松本市岡田に行くルート)山裾にひっそりと鎮座し、神社境内社の横が光城山の登山道入り口になります。静寂のなか神秘的な空間をあじわいました。

現在の本殿は寛政年間(1789年〜1801年)の建築で、社叢にはスギ、ヒノキなどの大木が群生するほか、多くの草木が繁茂している。
神楽殿では田沢神明宮例祭(4月第1土・日曜日)にて奉納される獅子舞。前座の踊りから最後の舞まで当初の5部構成を完全に維持・伝承する。

御祭神 天照大御神
境内社 伊勢社 八王子社
    阿夫利社 稲荷社
由緒
景行天皇(大和武尊の父)12年日光泉小太郎が創建されたとされる。

日光泉小太郎とは

むかしむかし、松本、安曇(あずみ)の平(たいら)は山々のさわから落ちる水をたたえた湖でした。そして、ここに犀龍(さいりゅう)という者が住んでいました。

また、ここから東の高梨(今の須坂市高梨あたり)というところの池には、白竜王という者が住んでおり、やがて鉢伏山(はちぶせやま)というところで、二人の間に男の子が生まれました。

日光泉小太郎と名づけられた男の子は、放光寺山(今の松本市城山)あたりでりっぱに成長しました。泉小太郎が大きくなるにつれて、母の犀龍は自分のすがたをはずかしく思い、湖のそこにかくれてしまいました。

小太郎は、こいしい母の行方(ゆくえ)をたずね回り、熊倉下田の奥の尾入沢(今の松本市島内平瀬と田沢のさかいのあたり)で、やっとめぐりあうことができたのです。

母の犀龍は、小太郎にしずかに語ってきかせました。「私は、本当は諏訪大明神の化身(けしん)なんですよ。氏子(うじこ)を栄(さか)えさせようとすがたをかえているのです。おまえは、この湖をつきやぶって水を落とし、人の住める平地をつくるのです。さあ、わたしの背中(せなか)に乗りなさい」

言われて小太郎は、母犀龍の背中に乗りました。この地は今も犀乗沢(さいのりざわ)とよばれています。二人は、山清路(今の東筑摩郡生坂村山清路)の巨岩をつきやぶり、さらに下流の水内の橋の下(今の長野市信州新町久米路橋あたり)の岩山をつきやぶり、千曲川の川すじから越後(新潟県)の海まで乗りこんで行きました。

こうして、安曇平の広大なと地ができたのです。そして、小太郎と母犀龍が通った犀乗沢から千曲川と落ち合うところまでを、犀川とよぶようになりました。その後、小太郎は有明の里(今の北安曇郡池田町十日市場)でくらし、子孫(しそん)は大いに栄えたといいます。

信府統記旧俗伝(1724年刊行)から要約したもの。

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