ほたかじんじゃ
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穂高神社本宮のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月08日(月)
参拝:2024年1月吉日
初詣は人で賑わいますが、平日は広い境内を歩くと厳かで古い歴史と格式を感じる神社⛩️です。摂社も多数あります。
安曇族が太古遠く九州から日本の中央信濃に入り定住し、稲作、農牧、植林治水、交通案内その他あらゆる殖産興業の智恵を授け、衣食住等人間生活の根源を開発指導された安曇文化の生みの祖神である。
交通安全守護神、悪事災難除守神、福徳開運の神、学問、詩歌の神、安産の神、夫婦円満、家内安泰守護神として霊験あらたかで、御神徳は実に広大無辺である。
穂高神社がいつ創建されたか記録はないが、醍勘天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式の神名帳には、名神大社に列せられて古くから信濃に終ける大社として、朝廷の尊崇篤く殖産興業の神と崇められ、信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられている。
安曇族は海神系の宗族として北九州に栄え、大陸とも交渉をもち高い文化を持つ氏族であったようで、しだいに活動範囲を四国、中国、近畿、中部へと広げ、その一部は信濃国安曇野を安住の地と定め、稲作、農牧文化等を普及し、大きな力を持ち「和名類聚鈔」にある高家郷・八原郷・前科郷・村上郷の四郷からなる安曇郡を成立させている。
降って武将仁科氏、松本藩主累代は社領を寄進し、式年の造営、祭祀の厳修につとめられ、明治の御代となり、明治五年郷社、同十五年県社、昭和十五年国幣小社に昇格し、同二十年十二月十五日
神道指令により、官国幣社の制度は廃止されて、現在は神社本庁の別表神社として崇敬されている。
御祭神
中殿 ほたかみのみこと
穂高見命
左殿 わたつみのみこと
綿津見命
右殿 ににぎのみこと
瓊々杵命
別宮 あまてらすおおみかみ
天照大御神
若宮 あづみのむらじひらふのみこと
安曇連比羅夫命
相殿 信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎)
安曇族が太古遠く九州から日本の中央信濃に入り定住し、稲作、農牧、植林治水、交通案内その他あらゆる殖産興業の智恵を授け、衣食住等人間生活の根源を開発指導された安曇文化の生みの祖神である。
交通安全守護神、悪事災難除守神、福徳開運の神、学問、詩歌の神、安産の神、夫婦円満、家内安泰守護神として霊験あらたかで、御神徳は実に広大無辺である。
穂高神社がいつ創建されたか記録はないが、醍勘天皇の延長五年(西暦九二七年)に選定された延喜式の神名帳には、名神大社に列せられて古くから信濃に終ける大社として、朝廷の尊崇篤く殖産興業の神と崇められ、信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられている。
安曇族は海神系の宗族として北九州に栄え、大陸とも交渉をもち高い文化を持つ氏族であったようで、しだいに活動範囲を四国、中国、近畿、中部へと広げ、その一部は信濃国安曇野を安住の地と定め、稲作、農牧文化等を普及し、大きな力を持ち「和名類聚鈔」にある高家郷・八原郷・前科郷・村上郷の四郷からなる安曇郡を成立させている。
降って武将仁科氏、松本藩主累代は社領を寄進し、式年の造営、祭祀の厳修につとめられ、明治の御代となり、明治五年郷社、同十五年県社、昭和十五年国幣小社に昇格し、同二十年十二月十五日
神道指令により、官国幣社の制度は廃止されて、現在は神社本庁の別表神社として崇敬されている。
御祭神
中殿 ほたかみのみこと
穂高見命
左殿 わたつみのみこと
綿津見命
右殿 ににぎのみこと
瓊々杵命
別宮 あまてらすおおみかみ
天照大御神
若宮 あづみのむらじひらふのみこと
安曇連比羅夫命
相殿 信濃中将(御伽草子のものぐさ太郎)
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