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玄蕃稲荷神社ではいただけません
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玄蕃稲荷神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月12日(火)
参拝:2024年11月吉日
安曇野市豊科南穂高細萱に鎮座する
玄蕃稲荷神社に参拝して来ました。
国道147号線を通る度に看板が気になっていた所です。
住宅に挟まれ所に鎮座しています。拝殿前の境内社も稲荷社(福徳稲荷社、開運稲荷社)でした。
駐車場の新設を含む境内拡張整備と社務所改築事業ご奉賛のお願いで寄付を募っていました。
玄蕃稲荷の歴史
玄蕃稲荷神社は第84代順徳天皇の御代、建保元年(1213年)に鎌倉幕府の家人であった小笠原民部大輔長忠(濃守)の一族である安曇玄蕃頭(げんばのかみ)が祭祀したのが起源と伝えられています。世の変遷にともない小さな祠(ほこら)として残された時代もありましたが、江戸期に入ると農耕の神、豊作の神として、仰されるようになり、明治以降は養蚕の神として篤い崇敬を受け、とくに毎年春に行われる初午祭には近隣の村々からの多くの参詣者で賑わうようになりました。
今も商売繁盛・家内安全・開運招福の守り神として仰を集める
玄蕃稲荷神社は、顔に「ひげ」を蓄えた玄蕃稲荷のもうけダルマを授与する「縁起の良いお稲荷さま」として広く知られており、地域の人々からは「玄蕃さま」の愛称で親しまれています。
ご祭神 宇迦神魂神
初午祭 3月上・中旬の土曜・日曜日
玄蕃稲荷神社に参拝して来ました。
国道147号線を通る度に看板が気になっていた所です。
住宅に挟まれ所に鎮座しています。拝殿前の境内社も稲荷社(福徳稲荷社、開運稲荷社)でした。
駐車場の新設を含む境内拡張整備と社務所改築事業ご奉賛のお願いで寄付を募っていました。
玄蕃稲荷の歴史
玄蕃稲荷神社は第84代順徳天皇の御代、建保元年(1213年)に鎌倉幕府の家人であった小笠原民部大輔長忠(濃守)の一族である安曇玄蕃頭(げんばのかみ)が祭祀したのが起源と伝えられています。世の変遷にともない小さな祠(ほこら)として残された時代もありましたが、江戸期に入ると農耕の神、豊作の神として、仰されるようになり、明治以降は養蚕の神として篤い崇敬を受け、とくに毎年春に行われる初午祭には近隣の村々からの多くの参詣者で賑わうようになりました。
今も商売繁盛・家内安全・開運招福の守り神として仰を集める
玄蕃稲荷神社は、顔に「ひげ」を蓄えた玄蕃稲荷のもうけダルマを授与する「縁起の良いお稲荷さま」として広く知られており、地域の人々からは「玄蕃さま」の愛称で親しまれています。
ご祭神 宇迦神魂神
初午祭 3月上・中旬の土曜・日曜日
すてき
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てけてけ341投稿
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