浄土宗
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宗圓寺の編集履歴
2024年06月15日 14時28分
ご由緒
宮崎太郎の子孫とされ、江戸時代初頭から宝永4(1707)年まで阿智村内の向関村の領主であった向関宮崎氏の墓所がある。向関宮崎氏は宮崎氏宗家の家系で、天正14(1588)年、父泰景と共に徳川家康の直参となった半兵衛泰重のころから向関村に住んだようだが、泰重は家康に従って江戸に赴き関東で没したので、当寺には2代目の半兵衛重次以後の4代が葬られている。墓所中央の巨大かつ重厚な2基の五輪塔は半兵衛重次夫妻のもので、重次の法名「宗円」が当寺の寺号となっている。
編集前:宮崎太郎の子孫とされ、江戸時代初頭から宝永4(1707)年まで阿智村内の向関村の領主であった向関宮崎氏の墓所がある。向関宮崎氏は宮崎氏宗家の家系で、天正14(1588)年、父泰景と共に徳川家康の直参となった半兵衛泰重のころから向関村に住んだようだが、泰重は家康に従って江戸に赴き関東で没したので、当寺には2代目の半兵衛重次以後の4代が葬られている。墓所中央の巨大かつ重厚な2基の五輪塔は半兵衛重次夫妻のもので、重次の法名「宗円」が当寺の寺号となっている。
駐車場
あり 40台くらい
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