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楽しみ方修那羅山安宮神社のお参りの記録一覧
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ツーリング仲間5人で修那羅峠の安宮神社と青木村の大法寺さんにお参りしてきました。
安宮神社さんは、オートバイ🏍️神社であり、猫🐈神社であり、拝殿横の床下通路を抜けると異世界の石仏群ワールドになる楽しい神社さんです。
石仏好きの方には是非お参りして頂きたい神社です。
佐久間象山奉納とされる十一面千手観音石仏が本殿裏側にあります。
猫、虎?、水牛、馬などの色々な動物神から地蔵、閻魔様、観音様など様々な神仏が祀られています。
昼食は坂北村坂井の「そば処さかい」で鶏唐定食、もつ煮定食(味噌汁を➕300円で蕎麦に変更)を皆で頂きました。😋
こちらはそばより、もつ煮、鶏唐の方が美味しい(笑)
歴史
江戸時代末期ないし、幕末から明治初年にかけ、行者の修那羅大天武が峠近くに修験場を構えた。修那羅大天武は万延元年(1860年)にこの地に住み着き、明治5年に死去したが、生前に舟窪山(峠の西)で、安宮神社を開いたと伝えられている。安宮神社の御祭神は、大国主命と修那羅大天武命である。
安宮神社の境内には、ブナやクリの林が広がる。その林の中に、善光平・小県・安曇野・松本方面の信者たちから寄贈された石造仏・石造神(総数860体)が寄進されている。石神仏の特徴は、神仏習合のものが多いことで、『修那羅大天武一代記』(大正3年記)によれば、これらの石像の大部分は、大天武が住み着いた万延元年から、没した明治5年までの十数年間に建立されたという。石像の高さは30 cmから50、60 cm程度で、無造作に土の上(山道の片側)に並べられている。その形は、悪霊神、苗鹿大明神、蚕神、猫神、馬神、催促金神、狼神、地蔵、大日如来など様々である。

修那羅山安宮神社廻りにある石仏群を先輩に見せたところ、石仏好きの先輩の要望で、案内を兼ねて続けて奉拝してきました。
今回も御朱印書き置きは残っていませんでした😢
前回は参拝者ご芳名帳を書いた方は木札をお持ちくださいとありましたが見当たりませんでした。今回は木札の表面に修那羅の刻印、裏面に創始者の修那羅大天武様の似顔絵が刻印された木札があり、頂いてきました。😃
Googleマップに神社の明記がない追沢観音群なるものが、車で14分7キロ先にありました。👀古い阿弥陀如来堂と笑顔の女性の観音様群があり、1番奥には1枚石に33観音様が彫られた見事な石碑がありました。(慶應四年1868年明治元年に建立されていました。)
田舎の田んぼの奥山の裾野に静かに鎮座し、ほとんど人が訪れていないようですが、素晴らしい👍観音群だと思いまして、一緒に投稿しておきます。

筑北村安坂の谷の最奥、真田集落のはずれに青木村と境を接する修那羅峠があります。その峠から約20分ほど登った所に舟窪山があり、そこに安宮神社があります。1000個の石仏や木造に圧倒されます。
ねこ神様とオートバイ神社の御朱印が書き置きで置いてあるとありましたが、一枚も無くて残念😂でした。
安宮神社
峠を登り詰めると、そこは別世界。最後の山伏「修那羅大天武」が開いた聖なる場所の安宮神社。
日差しをさえぎるブナやクリが繁る林の中に猫神や狼神、鬼や蚕神、お地蔵さんに大日如来、手をつないだ姉妹像、さまざまな表情の石神仏たちと腰巻が奉納された子安様。
石神仏の間を歩くと俗世間から切り離されたかのような神々しい空気が漂い、不思議な感覚に包まれる。庶民の祈りや願いに彩られたこの地は、パワースポットとして若者や若い夫婦にも人気。
歩くだけで特別な想いが湧いてくる修那羅の石神仏に、あなたも逢いに来ませんか。
摂末社の由緒
神社境内には摂末社として鎮座する石神像、石仏及び木像が現在約1,000社奉祀されています。この末社のほとんどが作者不明ですが、素朴な感を呈し、かつ力強い表現は全国に比類なく、更に自然に相溶けあった美しさは、参拝客の心を和ませてくれます。
開祖修那羅大天武命の御神徳によるもので、その尊さは世の人々が感鳴するところで、往古徳川時代の中期・末期の頃、御神徳を仰いだ民俗の信仰、又その霊験の著しきことが、古老の口伝により知られています。
この末社は全て大願成就により奉納御鎮座されたものです。末社の奉納年代、奉納者等は不明ですが、幕末に活躍した松代藩の洋学者佐久間象山が修那羅大天武への信仰が篤かったことが知られており、佐久間象山が奉献したとされる千手観音像も鎮座しています。
(筑北村おでかけガイドより)
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