岡田神社は、延喜式の神名帳に記載されている式内社であり、芝宮とも呼ばれ創建は白雉五年(六五四)と伝えられている。
祭神は五穀守護神「保食神」(ウケモチノカミ)である。氏子は東区、塩倉、神沢、岡田町、松岡の町会で産土神(ウブスナガミ)、鎮守の神として住民の崇敬厚くおよそ一四〇〇年の歴史を誇っている。
岡田は、古来より山浅く旱魃(カンバツ)地帯で住民は苦労してきた。
灌漑用水(カンガイヨウスイ)は、女鳥羽川より稲倉から引水して農用に供してきた。稲倉には水口神社があり、今も地元及び岡田の農業関係者によって毎年春の祈念祭が斎行されている。この祭神は弥都波乃賣神(ミズハノメノカミ) 及び保食神で、岡田神社の奥社ではないかとも言われている。
平安時代、神社前の堀之内に館があったとされる領主岡田冠者親義(リョウシュ オカダカジャ チカヨシ)が、嘉応二年頃(一一六九)社殿を修復したとされている。一の鳥居の両側にある推定樹令六百年以上の大欅(オオケヤキ)より西進する参道は、途中折れて本殿正面に向かっている。 これは岡田冠者親義の館があったためとされ、式年造営の際現在の位置に遷座され、そのままになったと推定される。 社殿は何回も火災にあい、現本殿は平成三年(一九九一)に建立された。建築や修理を示す棟礼は、元禄十三年より昭和二十八年まで十二枚が保存されている。 明治五年十一月、社格制度が新たに交付され、郷社に移行し現在に至っている。 |