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大宮神社ではいただけません
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大宮神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年04月21日(日)
参拝:2024年4月吉日
氏神様である大宮神社の礼大祭でお参りに行ってきました。
島内の地区からお神輿や山車が出され、地区を上げてのお祭りになっています。夜、8時頃大宮神社に各地区のお神輿や山車が集まってきて、神社の前で順番に牽きまわします、これは毎年順番があるそうです。各々の山車は特色ある化粧が施されています。中には子ども達が乗っていてお囃子をしています。
神社回りに、昔話が書かれた燈篭のようなものを立てたりします。
氏子達が花を作って山車や提灯🏮の上に屋根のように飾り付けもします。
また、こちらの神社には⛩️がありません。神社前にあたる東側の山に毎年氏子達がたい松の火で鳥居を作ります。
鳥居火行事の由来
戦国時代小笠原氏の一族がこの鳥居の南に城砦を築き守っていました。応仁 (1467年) の頃、内乱が起こり東北側から攻めてきた反乱軍が折からの北風に乗じて山に火を放ち、城中が火煙につつまれ城方は苦戦におちいりました。火は鳥居まで移り、東北側に焼け倒れると、不思議に風向きが変わり、猛火はかえって反乱軍におそいかかって城方は戦いを取り戻し勝ことができたそうです。これを神のお陰と考えた人々は鳥居を再建せず、松明で鳥居を造って神威を敬うようになったと言い伝えられています。
島内の地区からお神輿や山車が出され、地区を上げてのお祭りになっています。夜、8時頃大宮神社に各地区のお神輿や山車が集まってきて、神社の前で順番に牽きまわします、これは毎年順番があるそうです。各々の山車は特色ある化粧が施されています。中には子ども達が乗っていてお囃子をしています。
神社回りに、昔話が書かれた燈篭のようなものを立てたりします。
氏子達が花を作って山車や提灯🏮の上に屋根のように飾り付けもします。
また、こちらの神社には⛩️がありません。神社前にあたる東側の山に毎年氏子達がたい松の火で鳥居を作ります。
鳥居火行事の由来
戦国時代小笠原氏の一族がこの鳥居の南に城砦を築き守っていました。応仁 (1467年) の頃、内乱が起こり東北側から攻めてきた反乱軍が折からの北風に乗じて山に火を放ち、城中が火煙につつまれ城方は苦戦におちいりました。火は鳥居まで移り、東北側に焼け倒れると、不思議に風向きが変わり、猛火はかえって反乱軍におそいかかって城方は戦いを取り戻し勝ことができたそうです。これを神のお陰と考えた人々は鳥居を再建せず、松明で鳥居を造って神威を敬うようになったと言い伝えられています。
すてき
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てけてけ343投稿
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