おぶせおおもとじんじゃ
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楽しみ方小布施大元神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月08日(金) 06時22分27秒
参拝:2026年5月吉日
小布施に鎮座する小布施大元神社さんにお詣りしました。
拝殿が修理中でした。
拝殿に諏訪社とあります。
御祭神
建御名方命
八坂刀売命
由緒(上高井郡誌より)
不詳
(小布施百話より)
今の社地は三転目と言われる。古くはかなり北にあり、村落が水害に遭うたびに南に押されてきた。現在分かっているものでは、二転目の土地が小布施駅すぐ西の畑の中にある。
「古宮」と呼ばれ、小さな祠が祭られている。石祠の前には「享保5年(注・1720年)庚申大元神社 燈□」と刻まれた石灯ろうが右に置かれ、左には「享保19年」(1734年)の文字が読める標柱がおかれている。このことから現在地に移ったのは享保19年以降と考えられる。「古宮」の前の古道は「山田街道」と呼ばれた千曲川の舟付場から草津に通じる街道だったという。
この大元神社は建御名方命と八坂刀売命を祭神とする。町組の皇大神社の御遷宮の時に、仮遷宮となる神社で、昭和8年の仮遷宮の記憶も新しい。
神社の拝殿では春4月の大祭に獅子舞が奉納される。笛、太鼓、三味線が三位一体となるリズム感と厳粛さをもった貴品のある静かな舞で「お座敷獅子」と言われる。舞の師匠は、日常生活の中でも清廉潔白な人でないとなれなかったし、師匠の後継者は師匠が責任をもって推挙した者でなければならなかった。
神殿は、棟札によると安政4年(1857年)に大工棟梁「松本曽一郎藤原国宗」により再建された。覆屋は嘉永5壬子(注・1852年)初夏4月6日に遷宮されている。亀原和田四郎嘉重が後見を務めた。高井野の名工2代目和田四良嘉博が「嘉博」を名乗る前に、初代和田四良と同じ字名の「嘉重」を名乗っていたことを明らかにする貴重な史料である。
拝殿が修理中でした。
拝殿に諏訪社とあります。
御祭神
建御名方命
八坂刀売命
由緒(上高井郡誌より)
不詳
(小布施百話より)
今の社地は三転目と言われる。古くはかなり北にあり、村落が水害に遭うたびに南に押されてきた。現在分かっているものでは、二転目の土地が小布施駅すぐ西の畑の中にある。
「古宮」と呼ばれ、小さな祠が祭られている。石祠の前には「享保5年(注・1720年)庚申大元神社 燈□」と刻まれた石灯ろうが右に置かれ、左には「享保19年」(1734年)の文字が読める標柱がおかれている。このことから現在地に移ったのは享保19年以降と考えられる。「古宮」の前の古道は「山田街道」と呼ばれた千曲川の舟付場から草津に通じる街道だったという。
この大元神社は建御名方命と八坂刀売命を祭神とする。町組の皇大神社の御遷宮の時に、仮遷宮となる神社で、昭和8年の仮遷宮の記憶も新しい。
神社の拝殿では春4月の大祭に獅子舞が奉納される。笛、太鼓、三味線が三位一体となるリズム感と厳粛さをもった貴品のある静かな舞で「お座敷獅子」と言われる。舞の師匠は、日常生活の中でも清廉潔白な人でないとなれなかったし、師匠の後継者は師匠が責任をもって推挙した者でなければならなかった。
神殿は、棟札によると安政4年(1857年)に大工棟梁「松本曽一郎藤原国宗」により再建された。覆屋は嘉永5壬子(注・1852年)初夏4月6日に遷宮されている。亀原和田四郎嘉重が後見を務めた。高井野の名工2代目和田四良嘉博が「嘉博」を名乗る前に、初代和田四良と同じ字名の「嘉重」を名乗っていたことを明らかにする貴重な史料である。
すてき
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てけてけ591投稿
令和5年に還暦を迎え、祝いにオートバイ(スーパーカブプロ110)をカスタマイズして購入。訪れた先の食事処、名跡、神社、仏閣を散策し、リターンライダーとして楽しんでいます。この度11月から御朱印巡...もっと読む
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