浄土宗
善徳寺のお参りの記録一覧
今日は神道だけ信仰するッ!( ・`д・´)キリッ
・・・などと宣言した矢先、玉依比賣命神社のすぐ近くにとても立派なお寺が見えてしまいまして、調べてみたら受印情報もあったので、「・・・あと一寺だけ運試ししてみよう(;-_-)」と即効で宗旨変えw
結果は・・・やはり今日はもう仏縁がないらしく、見事に住職不在で受印できなかったでんすけどね(^^;
しかし、お寺の縁起や歴史を調べてみたところちょっと興味深いことが・・・
お寺の後ろの山が尼巌城(あまかざりじょう)という城跡で、東条氏という地元の土豪によって築城され、当初は上杉勢の軍事拠点 (この東条氏居館があったのが玉依比賣命神社付近とのこと)
その後、武田信玄の命を受けた真田幸隆から何度か攻撃を受け武田勢が占領、結構な堅城でなかなか落ちなかったらしい。
高坂弾正昌信が城将として駐屯し、以後は海津城の支城として機能。
・・・と、何気に今回の旅のテーマである川中島合戦や真田家と縁浅からぬ土地でした。
一方、お寺自体は武将等との関わりは低く、嘉吉年間(1441~1443)に、中川良善仲という信心深い村人が観音堂を立てて礼拝。善仲没後に弟の善徳が開基となり寺堂を建立。・・・と、わりと素朴な民間信仰に由来するお寺でした。
寺号もこの開基の善徳さんからそのまま付けられたようです。
後ろの山は尼巌山(あまかざりやま)というそうで、このお寺が登山口になってるそうです
尼巌城という海津城の出城跡と、天王山1号墳(左の尾根) 2号墳(右の尾根)という古墳もあるとのこと
山門
白壁に囲まれたお寺
本堂
ここの屋根の家紋は九曜紋
この辺りだと真田氏の母体の海野氏がこの家紋なので、そちらと何か関係あるのかも
大きな鐘楼が目を引く
観音堂
縁起を調べたところ、このお寺は観音堂から始まったらしい
これが説明にある宝珠か?
ここからは真正面に皆神山が見えます
確かに奇妙な形だけど・・・ピラミッド?うーん(^^;
皆神山については翌日参拝しました
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