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おふなやいなり じんじゃ

御船屋稲荷神社の御由緒・歴史
長野県 篠ノ井駅

ご祭神稲荷大明神
ご由緒

千曲川が松代城の北裏から、この稲荷社の北を流れていたころ、藩の御船屋(御船蔵(おふなぐら))がこの地( 不二越工場跡)にあって領内七ヶ所の渡船場(矢代・赤坂・寺尾・関崎・小市・市村・布野)支配の役所が置かれていました。
 寛保二年(1742)の「戌の満水」(いぬのまんすい)と呼ばれる記録的な大水害後、千曲川を北方の現在の地に移したので、御船屋は廃止になって、その跡に藩の道橋方(みちはしかた)(土木関係)の役所が設けられて、鎮守として稲荷大明神をまつったので「御船屋稲荷」とよばれました。
 享和元年(1801)二月、道橋奉行の金井縫殿丞・石黒和左衛門・矢野源八らが、京都の神祇官に願って「正一位稲荷大明神」の神号を許され、特大藩主真田幸広公の筆になる「御神号」を御神体として祭りました。以来城下の竹山稲荷など数か所の稲荷社と共に二月の初午祭が盛大に行われました。
 明治四年(1871)廃藩によって道橋方は廃されたので、稲荷社は御廐町(おんまやまち)の町内持ちとなって祭典が引つがれ、今日に至っております。

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