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いいずなじんじゃ おくしゃ

飯縄神社 奥社の編集履歴
2022年08月12日(金)
長野県 川中島駅

神祇伯さんのプロフィール画像
神祇伯
2022年08月12日 11時26分

ご由緒

 当神社は、西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したと言われる。
 西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の 子、盛綱も父に従い入山し、荼枳尼天の法を修得、 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日太夫」と称し、飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は、 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され、徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末 社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
 飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、参籠の行者等は、これを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた。

編集前: 当神社は、西暦270年頃第15代応神天皇の御代飯縄山山頂に天神大戸道尊を祀り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、本地を大日如来とし 848年学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したと言われる。
 西暦1233年に信濃国荻野(信州新町)の地頭 伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の 子、盛綱も父に従い入山し、荼枳尼天の法を修得、 父より飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日太夫」と称し、飯縄信仰を全国に広げると共に忍法の祖となった。
又、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は、 紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には武田・上杉両家の深い尊信を受け 神領を寄進され、徳川三代将軍家光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末 社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
 飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、参籠の行者等は、これを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治六年長野県庁より皇足穂命神社の称号を与えられた。

電話番号

026-254-2007(越志旅館)

編集前:026-254-2007(里宮)

ご祭神/ご本尊

大戸道命
大戸辺命
保食神

編集前:《主》保食神

駐車場

登山道入口にあり

トイレ

なし

参拝所要時間

約2時間30分

参拝料

なし

創立

応神天皇紀(270年ごろ)

行事

6月5日(頂上祭/開山祭)

ご神体

飯綱山

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