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2025年01月13日(月) 10時22分 by神社猫

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緯度
編集前
32.1974016
編集後
32.1882239
経度
編集前
131.2419647
編集後
131.2443753
宗派
名前
編集前
児原稲荷神社
編集後
兒原稲荷神社
ふりがな
編集後
こばるいなりじんじゃ
郵便番号
編集後
881-1301
住所
編集前
児湯郡西米良村大字越野尾135
編集後
児湯郡西米良村越野尾134-1
ご由緒
編集後
一ツ瀬川と小川川との合流域に位置する。昭和三十八年一ツ瀬ダムが完成し、当地はダム湖の湖畔となった。
当社は初めに木花咲耶姫命、彦火火出見命、大山祇命を奉斎した神社であったが、下って天正五年(1577)伊東家十代義祐は島津氏との戦に敗れ豊後に落ちるに際し、伊東家の守護神伊豆稲荷の祭祀を当神社社祠甲斐助左衛門重祐に依頼され、兵火の中より御神霊を壺中に収め持ち帰り、倉稲魂命、太田命、大宮姫命を合祀し、以後小春稲荷神社と称した。豊臣秀吉に仕えた義祐の子祐兵は、天正十五年(1587)九州の役に参戦し、島津勢が降ってからは飫肥の初代藩主となり、当神社の例大祭には豊後落ちの恩義を忘れず、飫肥名産の蜜柑を毎年名代をつかわし奉献したといわれる。江戸期には米良五社の一つとして領主米良氏の崇敬を受け、祭礼の際には領主の直参、代参があったという。棟札によると寛政二年(1790)十一月甲斐刑部によって再興されている。
幕末、当社の祠官であった甲斐右膳大蔵父子は、尊皇運動の先頭に立ち、文久三年の討幕運動の失敗で、肥後人吉藩に捕らえられ、元治元年に父子相次いで獄死した。このため明治維新に際して社号を消滅させられたが、明治十五年現社名を称するようになった。社殿に至る石段右側の墓地内の甲斐右膳父子の墓は、昭和九年勤王家の墓として県史跡に指定された。
特殊神事として、節分の折の「普通水稲作占い」、また例祭には神楽三十三番が夜を徹して奉納される。
電話番号
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(0983)37-1225
メールアドレス
ご祭神/ご本尊
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《主》火明神,大山祇命,木花開耶姫命,宇加能魂命,大田命,大宮姫命
編集後
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
太田命(おおたのみこと)
大宮姫命(おおみやひめのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
URL
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https://www.m-shinsei.jp/m_shrine/%e5%85%92%e5%8e%9f%e7%a8%b2%e8%8d%b7%e7%a5%9e%e7%a4%be%ef%bc%88%e3%81%93%e3%81%b0%e3%82%8b%e3%81%84%e3%81%aa%e3%82%8a%e3%81%98%e3%82%93%e3%81%98%e3%82%83%ef%bc%89/
見所
アクセス
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西都ICより車で約1時間10分
参拝時間
twitter
facebook
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https://www.facebook.com/p/%E5%85%90%E5%8E%9F%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE-100064329924271/
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駐車場
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あり
トイレ
参拝所要時間
参拝料
山号
院号
創立
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養老二年(719)十一月八日
創始者/開山・開基
編集後
不明
本殿/本堂の建築様式
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本殿(流造) 拝殿(入母屋造)
巡礼
行事
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初午祭
12月8日 例祭 ※現在は11月下旬の土・日
夜神楽(越野尾神楽)三十三番奉納 午後7時より翌朝7時まで
文化財
編集後
甲斐右膳大蔵父子の墓(宮崎県指定文化財 昭和9年4月17日指定)
ご神体
YouTube