みかどじんじゃ
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718年の創建と伝わる。
660年に滅亡した百済の王族・禎嘉王と子の福智王、華智王は畿内に逃れていたが、壬申の乱で畿内を追われ日向の海岸に漂着し、禎嘉王はこの地に辿りついた。
しかし追手にかかり殺害され、死後祭神として祀られたという。
1661年建築の本殿は重文指定されている。
神門神社には33面の銅鏡が奉納されており、これらの宝物は隣接する西の正倉院(奈良の正倉院を実物大で再現した)に収蔵されている。
奈良時代製作の唐花六花鏡は百済王族の遺品と考えられる。奈良正倉院宝庫に伝わる鏡と同じ文様であるのが興味深い。
毎年旧暦の12月に師走祭りと呼ばれる、比木神社に祀られている福智王(禎嘉王の子)の御神体が90kmの道程を旅して父の禎嘉王に対面する祭礼が行われている。
拝殿
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
神門神社内宮
西の正倉院(資料館)
西の正倉院(資料館)
西の正倉院(資料館)
西の正倉院(資料館)
銅鏡(唐花六花鏡)
銅鏡
奉納鉾
奉納鉾
奉納鉾
奉納鉾
百済の館(資料館)
百済の館(資料館)
神門神社(みかどじんじゃ)
旧社格:郷社
御祭神:大山祇命、品陀和気命、伊弉冉命 他7柱 及び禎嘉王(ていかおう)
禎嘉王は百済の王族で、一族が内乱で日本に逃れ、美々津金ヶ浜に上陸し
神門に留まったが追討軍により塚の原で亡くなったといわれています。
神社よりR388を東へ3km程走ったところ(国道沿い)にあります。
また王子である華智王は神門神社から7kmほど離れた伊佐賀(伊佐賀神社)で戦死。
同じく王子の比木(木城町・比木神社)にいた福智王は神門に入り
父王を助けて戦ったといわれています。
神門神社に伝わる『師走祭り』は子供であった福智王(比木神社)が、
華智王(伊佐賀神社)で合流し父である神門神社へ対面に行くというお祭りです。
ちなみに王族の船が日南市・油津に上陸し宮崎市田野町(天建神社)に住まわれた
という似たような伝説もあります。
神門神社には、王族の遺品とされる古い鏡24面があり、
その中には奈良の正倉院の御物と同一のもの、
東大寺の大仏台座下出土鏡と同形のもがあり、
神社横の『西の正倉院』内に展示されています。
神門神社には御朱印はないようですが、西の正倉院の受付に行くと
『神門神社之印』と彫られた印があるようでそこで自分で押すという形式みたいです。
一の鳥居。
二の鳥居
御社殿
本殿は宮崎県内では唯一の『七間社流造』という造りで、
珍しい構造・形式ということで国指定重要文化財に指定されているそうです。
名称 | 神門神社 |
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読み方 | みかどじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 大山祇命(おおやまつみのみこと) 品陀和気命(ほんだわけのみこと) 伊弉冉命(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまおのみこと) 事解男命(ことさかおのみこと) 菅原道真公(すがわらみちざねこう) 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 禎嘉王(ていかおう) |
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