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2025年01月19日(日) 15時38分 by神社猫
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880-0211
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当社は明治維新に当たり、藩政庁が佐土原から広瀬に移転するに際し、佐土原にあった諏訪、大安、稲荷の3社を合祀し、明治5年9月16日現在地に移転し、郷社広瀬神社となる。その後、明治40年広瀬にあった広瀬、八坂の両社を合祀、また昭和17年千代稲荷神社を合祀した。 諏訪、大安、稲荷神社の由緒は次のとおりである。 [諏訪神社] 天文19年(1550)6月20日、島津忠将の長子以久が生まれた。此の日未明、何処からか1旒の旗が舞い来って、産所の棟上に懸った。忠将異んで侍従池田備後に見せたところ、忠将の常に崇拝する諏訪神社の神旗であることが判った。忠将はこの吉瑞を悦び、その旗を神体として備後に祀らせ、その弟が祠官となった。 慶長8年(1603)、以久が佐土原に封ぜらるるや―旧佐土原藩の藩祖―諏訪神社を勧請して下馬場に祀り、のち承応2年(1653)諏訪の馬場に遷した。 [大安神社] ある時以久の夢に父忠将が現れ、「われを崇めて天下大明神と称すべし」と告げた。そこで以久は永禄8年(1565)社を建てて父の霊を祀り、社名を大安神社と称した。 [稲荷神社] 島津氏の祖、忠久以来島津家の尊信したもので、初め社は佐土原城内にあったもので、城頭稲荷とも称していた。
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明治5年9月16日
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不明
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本殿(流造) 拝殿(入母屋造)
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7月中旬 夏祭 11月15日 例祭
