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2025年10月22日(水) 10時09分 bySonotommy
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児湯郡高鍋町大字持田3762-1
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児湯郡高鍋町持田3762-1
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創建は古く、孝謙天皇の御宇以前の創始と謂われ、『比木大明神縁起書』にも仁寿二年(852)と記され、比木神社祭神の母神を祀っている。 藩政時代の高鍋藩主秋月氏が代々尊崇した社で、神領地三段歩、屋舗一段一畝五歩、畑三段歩、田二段五畝歩、並びに毎年祭典料米二石、薪二十五駄、土器七束等寄進され、祭典には藩主の代参が恒例であったという。元禄の年には、宮永次郎右衛門を本社神主に命ぜられ、祭政一致に相応しい神事を斎行させ、国家の安泰を計り藩民の幸と政治の万全を期したといわれている。 昔は現在地より高い所に鎮座し、日向灘を航行する船を見守られていたと古老の言い伝えがある。旧社殿は東向きであったが、昭和二十年の台風で倒壊したので、昭和六十二年氏子は南向きに新社殿を再建し、東からであった参道を改め南からに開設した。 毎年十一月の初申の日、大年下りと称し比木神社御神幸の前日、即ち未の日に比木神社社人七人の内の一人は大年神社に来社、斎場を清め、当日即ち申の日比木神社の御神幸式には、比木代長照寺住職並びに宮田代宮田寺住職、比木神社社人等数人御供される等格式高く、庶民との関係も深かった。特に本神社は五穀豊穣を守護し給う神様として近郷より御初穂米を献上して祈願する人今にも多い。なお古来雨乞等執行された事多々あった。 明治四十年二月村社に列格。 国鉄日豊線開通の為、大正八年一月二十七日境内地に一部変更があった。
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https://www.m-shinsei.jp/m_shrine/%e5%a4%a7%e5%b9%b4%e7%a5%9e%e7%a4%be%ef%bc%88%e3%81%8a%e3%81%8a%e3%81%a8%e3%81%97%e3%81%98%e3%82%93%e3%81%98%e3%82%83%ef%bc%89%e9%ab%98%e9%8d%8b%e7%94%ba/
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・高鍋ICより車で約15分 ・JR日豊本線高鍋駅より車で約15分
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本殿兼拝殿(切妻造)
