つのじんじゃ
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都農神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月20日(月)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 式内社巡り】
都農神社(つの~)は、宮崎県児湯郡都農町大字川北にある神社。式内社で、日向國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は大己貴命。明治以前は「宮崎社/宮崎宮」とも呼ばれた。
社伝によると、神武天皇即位の6年前(紀元前666年)に、天皇の東征に際し鎮祭したことに始まる。また神功皇后が三韓征伐に際し舟の守護神として「吐乃(つの)大明神」を勧請し、皇后が凱旋後に社殿を造営したと伝わる。『続日本後紀』には平安時代の837年に官社に列し、843年に神階奉授の記載がある。また『日本三代実録』には858年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 児湯郡 都農神社 小」に比定されている。その後、日向國一之宮として、在地領主や庶民から崇敬された。戦国時代には伊藤義祐により社殿が造替されているが、1578年の大友宗麟と島津義久の争乱の際に兵火に罹り社殿、社宝、古文書を焼失、そののち衰退した。江戸時代に入り1692年に高鍋藩主・秋月種政により再興されて以降、歴代高鍋藩主から篤く崇敬された。明治に入り、近代社格制度のもと国幣小社に列格した。
当社は、JR日豊本線・都農駅の北西1.8kmの平地、都農川の北岸にある。車のアクセスが良く、幹線道路である国道10号線のすぐ東側にある。豊かな緑に囲まれた境内は広々としていて、およそ200m四方の中にある。境内南端から社殿までまっすぐ伸びる樹木に覆われた参道は幅が広く一直線で、大社らしい荘厳さがある。神域入口には神門があり、神域には大きな社殿の他、大きな日本庭園があるのが特徴。参拝時は正月だったので、巨大な授与所が設営されていた。神域の外にも大きな池があるなど、散策しても気持ち良い空間が広がっている。
今回は、日向國の式内社、日向國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、まだ1月初旬ということで、初詣の人を含め多くの参拝者が訪れていた。
境内南端入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居の扁額。超達筆で、ノーヒントでは読めないかも...(^_^;)
鳥居をくぐって参道を進む。日向國の神社では参道は注連縄で区切られているみたい。
参道右側の<あぶら石>。都農川増水で社殿に参拝できない時、この石に油を注いで火を灯し遙拝所としたとのこと。
参道進んで、参道右側にある<神の石>。箱の中の石を取って、願掛けをしながら持ち運び、本殿裏に奉納する。
参道左手の<社務所>。
いよいよ神域に近づいて、<神門>周り全景。
参道左側の<手水舎>。
手水盤は綺麗に飾られている~♪ (o^―^o)
<神門>全景。
いよいよ<神門>をくぐる。
参道右側には巨大な<臨時授与所>。左端の一番社殿に近いところで御朱印を拝受できる。
<拝殿>全景。大きく重厚感がある。
拝殿後ろの<本殿>。拝殿に比して小さめ。建立は2007年と新しい。
本殿の右側にある<手摩乳(てなづち)・足摩乳(あしなづち)神社>。
本殿の真後ろにある<神の石納所>。他の神社だと、本殿の後ろまで廻る人は少ないが、当社では多くの人が本殿後ろまで<神の石>を納めに来ていた。
本殿の左側にある<素戔嗚神社>。
拝殿の右側に建っている<熊野神社>。
拝殿に向かって左手に広がる<庭園>。境内図上の表記は<西神苑>。
臨時授与所の御朱印コーナーから見た<社殿>全景。
臨時授与所の前にある<願掛け太鼓>。お作法は一礼、一打、一礼。
参道を挟んで、願掛け太鼓の向かい側にある<御神象>。「大國主の化身」とされている。
神門裏側の<撫でウサギ>。
神門裏側の<撫で大国>。
神門をくぐってすぐ、右手の離れたところにある<神楽殿 / 御輿庫>。
内部には<御神輿>と7つの<獅子頭>が。
臨時授与所の裏手にある<稲荷神社>。
境内の南東部にある<神池>。
境内の南東部の社叢の中にある<愛宕神社>。
<愛宕神社>の社殿。
参道上にある<大絵馬>。
最後に、幹線道路の国道10号線近くにある、巨大な<大鳥居>。これはよく目立つ。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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