くしふるじんじゃ
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槵觸神社ではいただけません
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槵觸神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月14日(火)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 古社巡り】
槵觸神社(くしふる~)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井にある神社。式外社(国史見在社)論社で、旧社格は県社。祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命。神体は槵觸山。
創祀は不詳。槵觸山の中腹に鎮座し、同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったとされる。槵觸山は、日本神話の天孫降臨の聖跡と言われ、『日本書紀』に記載のある「高千穂の槵觸之峯(くじふるのたけ)」、「槵日高千穂之峯(くしひのたかちほのたけ)」、『古事記』に記載のある「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気(きじふるたけ)」に比定され、古来霧島山とともに天孫降臨の有力な比定地とされ、霧島神社と並び称された。また当社を国史に見える「高智保神(高智保皇神)」とする説があり、「高智保神」は『続日本紀』には843年に神階奉授、『日本三代実録』には858年に神階昇叙の記載がある。ただし、927年に編纂された『延喜式神名帳』には記載がない。
社伝によると、江戸時代中期の1694年に高千穂神社宮司が延岡藩主・三浦明敬の援助を仰ぎ、高千穂18郷の郷民の協力の下、初めて社殿が建立された。のち延岡藩主・内藤氏も例祭に代参を派遣して神事料を奉納するなどしている。明治時代に入り、国史見在社に比定されたため、県社に列格した。
当社は、JR日豊本線・延岡駅の西北道のり43kmほどの街の外れ、小山の森を切り拓いた道沿いにある。境内入口の鳥居をくぐると、あとはすべて森の中で、緩やかに登る参道を進むと、社殿前にほど良い階段がある。相当な樹齢の巨木に囲まれた社殿は大きくかなり立派。かなり森が深く、夕方の遅い時間だったので、よほどの神社好きでない限り参拝者は来ないだろうと思っていたが、地元民と思われる夫婦が参拝に訪れびっくりした。さすが天孫降臨比定地の神社。
今回は、日向国の式外社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は夕方遅めの時間であったが、上述の通り、自分たち以外にも参拝者が一組いた。
境内南西端入口の<鳥居>。社号標はない。
扁額には難しい漢字で「槵觸神社」と書いてあるが普通の人は読めないのでは?(^_^;)
扁額には難しい漢字で「槵觸神社」と書いてあるが普通の人は読めないのでは?(^_^;)
鳥居をくぐって参道を進む。参道は両側を紐と紙垂で仕切られている。
さすが天孫降臨の比定地だけあって、ほど良い暗さとしっとりとした空気感が良い(マイナスイオンが飛びまくっているイメージ)。
さすが天孫降臨の比定地だけあって、ほど良い暗さとしっとりとした空気感が良い(マイナスイオンが飛びまくっているイメージ)。
やがて参道左側に現れる<社務所>。
さらに進むと参道左側に<手水舎>。
手水舎後方の樹木群が太くて高く、古社らしい抜群の雰囲気。
いよいよ階段を登る。
階段を1セクション登り切ったところの右手にある<相撲場>。
2セクション目の階段を登る。
いよいよ<拝殿>が見えてくる。そう言えば、当社には狛犬がいない。
<拝殿>正面。注連縄に赤と緑の紙垂が付けられているのが珍しい。
<拝殿>内部。ちゃんと灯りが点くようになっている。
拝殿から振り返って境内全景。
拝殿に向かって左手にある建物。表札等はないが祭器庫かな。
拝殿後ろの<本殿>。
拝殿と本殿のバランスはこんな感じ。間にあるのは雪下ろし用のすべり台?(。´・ω・)?
見たところ非常にきれいで、近年改築されたみたい。
見たところ非常にきれいで、近年改築されたみたい。
最後に<拝殿>全景。誰も来ないだろうと思っていたところに、後から夫婦連れがやって来てビックリした。
(^▽^)/
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すてき
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惣一郎1269投稿
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