きりしまみねじんじゃ
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霧島岑神社ではいただけません
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霧島岑神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年03月06日(月)
参拝:2023年1月吉日
【日向國 式内社巡り】
霧島岑神社(きりしまみね~)は、宮崎県小林市細野にある神社。式内論社で、旧社格は県社。祭神は瓊々杵命、木花咲耶姫命、彦火々出見命、豊玉姫命、鸕鷀草葺不合命、玉依姫命(皇祖・日向三代とその配偶神)。旧称は「霧島山中央六所権現」で、霧島六所権現の1社(2/6)。明治時代に別の霧島六所権現である夷守神社(旧称「夷守六所権現」)を合祀している(3/6)。
創建は不詳。国史の初見は『続日本後紀』837年条に「日向國諸県郡霧島岑神」が官社に預かり、神階奉授の記載がある。『日本三代実録』858年条でも神階奉授の記載がある。また927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。社伝によると、天慶・天暦年間(10世紀中頃)、性空上人が当社に参籠の折、山麓四方に夷守神社他4社を創建し、当社を合わせて霧島六所権現と称したという。1112年の韓国岳噴火、1167年の大幡山噴火、1234年の火常峰(御鉢)噴火、1716年の新燃岳噴火と続き、その度に遷座と社殿再建を繰り返し、1729年に夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座した。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、夷守神社を合祀して、夷守神社跡地に遷座して現在に至っている。
当社は、JRえびの高原線・広原駅の北西2.5kmの農耕地帯の外れの平地の小高い場所にある。県道104号線から少し逸れると森の入口が境内入口で、緩やかな傾斜のある樹木のトンネルを抜けると、空がぽっかり空いた社殿周りに辿り着く。社殿周りには数社の境内社と社務所のみがある。由緒を読む限り、霧島六所権現の中心的な神社だが、境内の造りからすると最も普通の神社(他がそれぞれかなり特徴のある神社とも言える)。
今回は、日向國の式内論社、宮崎県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分たち以外にも何組か、家族連れなどの参拝者が訪れていた。
境内東方入口の<一の鳥居>と<社号標>。一の鳥居はやや縦長のバランスが面白い。
境内東端入口全景。深い森の中に穴が開いている感じ。
参道入口アップ。両側に<石造仁王像>が立っているのが特徴的。
左側の<阿形仁王像>。石で作るのは大変かも。
右側の<吽形仁王像>。
参道入ってすぐ左側にある<手水舎>。
参道は石の登り坂。緩やかに、でも確実に登って行く。
やがて森の終わりに<二の鳥居>。
参道左側の境内社。左右にある門の守護神。こちらは<豊磐間戸神>。
参道右側の境内社。こちらは<櫛磐間戸神>。左右とも、内部には<随神像>と思われる人形が飾られている。
空が開けた明るい場所に出てすぐ右側にある二つ目の<手水舎>。
手水盤のこの苔の生し方は見事~♪ (o^―^o)
<拝殿>全景。向拝の左側に比べ右側が大きいアシンメトリーな造形は珍しい。
<拝殿>内部。御輿も太鼓も飾られている。とてもきれいにされている。
拝殿から振り返って境内全景。参道の暗さと境内周りの明るさのコントラストが非常に大きい。
拝殿後ろの<本殿>は瑞垣で囲われている。その手前には境内社<豊受大神
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>。
拝殿の右側からも同じ造り。瑞垣手前には同様に境内社<大山祇大神>がある。
幣殿の右側にある境内社。社の内部には<天照大御神>の神符が置いてある。
拝殿に向かって右後方にある<社務所>。御朱印はこちら。
拝殿に向かって左後方にある<風鈴オブジェ>。小林市のプロジェクトみたい。
とってもカラフルな風鈴がかなりキレイ~♪
二の鳥居の左手、少し小高いところにある<繭神社>の鳥居。
<繭神社>の社殿。当地付近でも養蚕業が栄えていたのかな?(。´・ω・)?
繭神社の左側にある境内社。片側だけ壁がある不思議な建物。HPによると<馬頭神社>で、馬頭観音を祀っている。
境内社の<社殿>。扁額や表札はない。
最後に<社殿>全景。歴史的には霧島六所権現の中で最も力があったみたい。(^▽^)/
すてき
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惣一郎1269投稿
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