霧島東神社のお参りの記録一覧
霧島六社権現のひとつ、霧島東神社へお参りしました。
細い車道を7〜8分山を登ります。と調べていたので不安でしたが、前を走る車に続きながら走りました😅
細いながらも案外🚘走りやすい道でした。
無事に神社の駐車場に到着💦
御池を見下ろす標高500mの高台にあり、眺めは素晴らしく来て良かったと思いました。
鳥居をくぐると神社までの階段参道、ゆっくりと踏みしめて登りました👣
苔をまとった参道。
木々の葉音が心地よく、癒やされました😊
高千穂峰の山頂には「天逆鉾(あまのさかほこ」が立てられており、霧島東神社はその山頂を飛地境内として、天逆鉾を社宝として祀っているそうです。
本殿は、厳かな雰囲気の中に静かに鎮座されています。心が洗われました。
素敵な神社でした😌
天之逆鉾守
苔が素敵です
開山性空上人の碑
拝殿
本殿
天之鉾御下降記念
と彫られています
鮮やかな拝殿
右手に社務所
ここで授与品を頂きました
神龍の泉
神龍の泉「忍穂井」
境内からの眺め
龍神が潜むと言われる「御池(みいけ)」直径1km、周囲3.9kmほどあります。水深は最も深いところで約100mを超え、日本で一番深い火山湖です。
神社下の道路沿いから眺めた霧島山と御池
霧島東神社きりしまひがしじんじゃは、霧島山きりしまやまを信仰の対象とする山岳信仰の神社としての第10代崇神天皇すじんてんのう(前97-前30)の御代みよに創建そうけんされたと伝えられています。
天暦年間てんりゃくねんかん(947-957)には、天台宗てんだいしゅうの僧の性空上人しょうくうしょうにんが4年間霧島山きりしまやまに入峰修行にゅうほうしゅぎょうし、高千穂峰たかちほのみねの周囲6ヶ所に鎮座ちんざする其々それぞれの神社の傍かたわらに寺院じいん(別当寺べっとうじ)を建立こんりゅう。霧島山きりしまやまを中心とした霧島六社権現きりしまろくしゃごんげん(霧島東神社きりしまひがしじんじゃ・霧島神宮きりしまじんぐう・狭野神社さのじんじゃ・東霧島神社つまきりしまじんじゃ・霧島岑神社きりしまみねじんじゃ・夷守神社ひなもりじんじゃ)の一社として神仏習合しんぶつしゅうごうの霧島修験きりしましゅげんの霊場れいじょうとして開山かいざんされ、霧島修験道きりしましゅげんどうの根本道場こんぽんどうじょうとして信仰しんこうされました。
・霧島東神社きりしまひがしじんじゃ(東御在所之宮ひがしございしょのみや・錫杖院しゃくじょういん)
・霧島神宮きりしまじんぐう(西御在所之宮にしございしょのみや・華林寺けりんじ)
・狭野神社さのじんじゃ(狭野権現社さのごんげんしゃ・神徳院しんとくいん)
・東霧島神社つまきりしまじんじゃ(東霧島権現社つまきりしまごんげんしゃ・勅詔院ちょくしょういん)
・霧島岑神社きりしまみねじんじゃ(中央権現社ちゅうおうごんげんしゃ・瀬多尾寺せたおじ)
・夷守神社ひなもりじんじゃ(夷守権現社ひなもりごんげんしゃ・宝光院ほうこういん) ※現在は夷守神社ひなもりじんじゃとして霧島岑神社きりしまみねじんじゃに合祀ごうし。
以来、西御在所之宮にしございしょのみやと称しょうされた霧島神宮きりしまじんぐうに対し、東御在所之宮ひがしございしょのみやと称しょうされ、崇敬すうけいを集めます。別当寺べっとうじとして千手観世音菩薩せんじゅかんのんぼさつを本尊ほんぞんとする東光坊とうこうぼう花林寺けりんじ錫杖院しゃくじょういんを有し、最盛期さいせいきには360名を越す山伏行者やまぶしぎょうじゃが、山内さんないに宿坊しゅくぼうを営いとなみつつ、社寺しゃじの護持ごじに勤つとめたとされています。
度重たびかさなる霧島山きりしまやまの噴火に社寺しゃじ造営ぞうえいを重ねますが、文明ぶんめい18年(1486)の造営ぞうえいの際、島津忠昌しまづただまさが霧島東神社きりしまひがしじんじゃ(東御在所之宮ひがしございしょのみや)・霧島神宮きりしまじんぐう(西御在所之宮にしございしょのみや)の東西両社とうざいりょうしゃを再興さいこう。圓政法院えんせいほうういんを中興ちゅうこうとして天台宗てんだいしゅうより真言宗しんごんしゅうへと改められました。以来、24世の別当職べっとうしょくが続き、南九州最大の修験道しゅげんどう根本道場こんぽんどうじょうとして尊崇そんすうを極きわめました。
明治元年(1868)の神佛判然令しんぶつはんぜんれい、及び明治5年(1872)の修験道しゅげんどう廃止令はいしれいにより錫杖院しゃくじょういんは廃され、寺領じりょうは没収されます。神社名も霧島東神社きりしまひがしじんじゃと改称かいしょうされますが、昭和9年(1934)、県社けんしゃに昇格しょうかくしました。神意佛心しんいぶっしんを崇あがめる修行しゅぎょうの霊場れいじょうとして、御祭神ごさいじんの祭祀さいしは本より、龍神りゅうじん信仰しんこう、天狗てんぐ信仰しんこう、権現ごんげん信仰しんこうを守り継いでいます。
高千穂峰たかちほのみねの山頂を飛び地とびち境内けいだいとしており、高千穂峰たかちほのみねの山頂に從そびえる天之逆鉾あまのさかほこは、伊弉諾尊いざなぎのみことと伊弉冉尊いざなみのみことが国生くにうみし給たまう時の鉾ほこを、逆さに立てられた故事こじに由来するもので、社宝しゃほうとして祀まつられています。
権現造ごんげんづくりの社殿しゃでんは享保きょうほう12年(1722)の造営ぞうえいより、幾度かの改修かいしゅうを経て現在に至るものです。殿内奥でんないおくに雄雌一対しゆういったいの龍柱りゅうばしらが祀まつられ、向拝こうはいには寛文かんぶん6年(1666)、薩摩藩さつまはん・島津光久しまづみつひさ寄進きしんの「東霧島坐きりしまのひがしにいます」の扁額へんがくが懸かかっています。改修かいしゅうを重ね現在に至っており、昭和52年(1982)、平成9年に改修かいしゅうされてています。
例大祭れいたいさいの秋季大祭しゅうきたいさいは、11月8日に宵宮祭よいみやさい,翌9日の例大祭れいたいさいの2日に渡って斎行さいこうされます。20時から斎行さいこうされる宵宮祭よいみやさいでは、神楽かぐら奉仕員ほうしいんが左右から白刃はくじんを翳かざす中、拝殿はいでん前の石段を参進さんしんして昇殿しょうでんします。拝殿はいでんにおいては二本の祓い串はらいくしと二振ふたふりの白刃はくじんが交差する下を潜くぐり、禊みそぎを受ける霧島東神社きりしまひがしじんじゃ天来てんらいの修祓の儀しゅばつのぎとして知られています。
平成22年3月11日に「高原の神舞たかはるのかんめ」として国重要くにじゅうよう無形文化財むけいぶんかざいに指定された祓川神楽はらいかわかぐらは、毎年、12月第2土曜日の19時頃から、翌朝7時頃まで祓川はらいかわ神楽殿かぐらでんで、33番を夜を徹てっして舞まい納おさめられています。霧島東神社きりしまひがしじんじゃの社家しゃけの年中行事の一つとして、祓川はらいかわの集落しゅうらくに伝えられ400年ほど前にはすでに行われていたと考えられています。正徳しょうとく5年(1715)奥書おくがきの神哥本かみうたほんの一部が残存しており、真剣しんけん、、錫杖しゃくじょう、鉾ほこ、長刀なぎなたを執とり、神哥本かみうたほんにも修験道しゅげんどうにも由来する語句がみられ、その古さがうかがえます。
大鳥居おおとりいを通り、すぐ右手は天狗堂てんぐどうと神龍泉しんりゅうのいずみです。天狗堂てんぐどうは霧島山きりしまやま大津坊おおつぼうを祀まつっています。神龍泉しんりゅうのいずみと称しょうされる忍穂井おしほいは、霧島九頭龍王きりしまくずりゅうおうを祀まつっています。龍神りゅうじんの安息池あんそくちにして 太古たいこより霊泉れいせんとして効験こうげんあらたかとされていますが、東方とうほうよりこの池に女人にょにんの影が映ると忽たちまち異変があると伝へられています。
【日向國 式内社巡り】
霧島東神社(きりしま・ひがし~)は、宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田にある神社。式内論社で、旧社格は県社。主祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、相殿神は天照大御神、天忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊、神日本磐余彦尊。旧称は「霧島東御在所権現」で、霧島六所権現の1社(5/6)。
社伝によると、第10代崇神天皇の御代(紀元前97年~紀元後30年)の創建。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「日向國 諸県郡 霧島神社 小」の論社となっており、他の論社として霧島岑神社(宮崎県小林市)、東霧島神社(宮崎県都城市)、霧島神宮(鹿児島県霧島市)がある。天暦年間(947年~957年)に天台僧・性空上人が高千穂峰の周囲6カ所に鎮座する神社の傍らに別当寺を建立し、のちに霧島六所権現、霧島修験と呼ばれる神仏習合の霊場として開山した。当社は「東御在所之宮」と称し、別当寺として錫杖院を有し最盛期には360名以上の山伏行者を擁した。度重なる霧島山の噴火に社寺造営を重ね、室町時代の1486年の造営の際、圓政法院を中興として真言宗に改め、以降24世の別当職が続き、南九州最大の修験道根本道場として崇敬を集めた。明治に入り神仏判然令、修験道廃止令により錫杖院を廃止し、社名を現社名に変更した。近代社格制度のもとでは県社に列格した。
当社は、JRえびの高原線・高原駅の南西5kmあまりの霧島山の中腹、高千穂峰の東方4kmの場所にある。境内はコンパクトだが、社務所や駐車場からは眼下に御池を中心にした美しい風景が広がり、そこから軽く林間を登って社殿に辿り着くと神聖な空気がたちこめていて、かつて修験者が多く集まっていたのにも納得ができる。
今回は宮崎県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の夕方で、遅い時間にも関わらず、何組もの参拝者がぱらぱらと訪れていた。
境内東端入口全景。長いくねくね山道の突き当りにある。
参道右側に社務所などの建物が並んでいる。
こちらは<神楽殿>かな。(。´・ω・)?
階段のスタート地点にある<鳥居>。
鳥居をくぐって階段を少し登った右側にある<手水舎>。
参道をどんどん登って行く。
参道左側に現れる<祓所>。
参道右側の<開山性空上人>の石碑。
階段を登り切ったところにある<神門>。
<神門>正面。
神門をくぐって、参道右側にある<授与所>。御朱印はこちら。
授与所前から社殿方向を望む。
参道左側の境内社。
参道進んで左側の門守社。
右側の門守社。
いよいよ階段を登って社殿に向かう。
<拝殿>全景。朱色の塗装がパリッとした美しい拝殿。
<拝殿>正面。扁額には「東霧島山」と書いてあるのかな。(。´・ω・)?
拝殿から振り返って境内全景。高木に包まれた神聖な空気感がいい~♪(o^―^o)
拝殿後ろの<本殿>。左側はその脇社。
拝殿の左側には祈願者昇殿口がある。
本殿の右側にも脇社がある。
鳥居近くにある境内社を見て廻る。こちらは一番低い所にある境内社。
少し高いところにある境内社。
3社の中では最も高いところにある境内社。忍穂井の社かな。
最後に、境内入口の谷側に見える景色。霧島山東麓の<御池>が見える。(^▽^)/
記紀旅で初めて参拝
霧島東神社は、高千穂峰への中腹、標高500メートルの高台に鎮座。創建は 第10代 崇神天皇の代、と言われ、ニニギノミコトが天孫降臨された際に、初めて祖先の神々を祀ったところと伝えられている。
〔主祭神〕 伊弉諾尊・伊弉冉尊
霧島東神社は、噴火を繰り返す自然の厳しさの象徴として山岳信仰の場としても日本有数の霊場であり、霧島で修行をする修験者たちの拠点となったところ、性空上人が開いた霧島六所権現のひとつ(霧島東御在所権現社 別当・錫杖院)となっていた。
現地案内板の説明文
伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美尊(イザナミノミコト)を主祭神として祀り、第十代崇神天皇の代に霧島山を信仰の対象とする社として創建されたと伝わる。天暦年間(947~957)に天台宗の僧、上空上人が神社のかたわらに別当寺である、錫杖院を建立し、霧島六社権現のひとつとして霧島山で神意仏心を崇める修行を行う修験者たちの拠点となった。当時は霧島山大権現東御在所之宮と呼ばれ、霧島修験の興隆に伴い社寺ともに栄えた。
度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねており、現在の社殿は享保12年(1722)の造営により、幾度かの改修を経て今に至る。殿内奥には雌雄一対の龍柱が祀られ、正面には寛文6年(1666)薩摩藩主島津光久公寄進の「東霧島坐 [霧島の東に坐(いま)す]」の扁額が納められている。
時間と健脚をお持ちなら、ぜひこの神社の社宝である、高千穂峰山頂(標高1574m)にある「天の逆鉾(あまのさかほこ)」を見に行って下さい。神社の裏から登山道がありますが、高千穂までは約3時間半ほど。
時間の都合上今回は泣く泣く断念しました。
御池は、約4.600年前におこった噴火の火口に、地下水が溜まって出来た、直径約1km周囲3.9kmのほぼ円形の火口湖。霧島東神社は、この湖の西北に位置します。
霧島山岳信仰の基盤を作った性空上人(しょうくうしょうにん)が、この池のほとりで修業をしている際に、九頭の神龍が現れ、宝珠を渡したという言い伝えがあり、また、神武天皇が幼少の頃、皇子港の水辺で遊んだという伝説も残っています。
鳥居を潜るとまず右手にあるのが、龍神の安息地として伝えられている神龍の泉「忍穂井」。社の中に泉があり、常に水を湛えていて、看板には、『この池は龍神の安息池にして太古より霊泉として効験あらたかなり されど東方よりこの池に女人の影が映ずれば 忽ち異変ありと伝へらる (一名 鏡井ともいう)』とあります。
つい中を覗き込みたくなりますが、女性は覗き込んではいけないとされていますので注意しましょう。
深い鎮守の森の中、厳かな雰囲気が感じられる石段参道を上がっていくと、神門の前に一対のご神木があります。かなり樹齢があると思われる杉の木には注連縄が飾られ、そこから拝殿までは一直線上で、一気に見る事が出来ます。更に反対を向くと眼下に御池が。
参道をまっすぐ歩き、最上段の境内には朱塗りの柱と白く塗られた壁の荘厳華麗な拝殿あります。度重なる霧島山の噴火により、復興造営を重ねていて、現在の社殿は享保12年(1722年)の造営により、幾度かの改修を経て今に至っています。
キキタビの御朱印を貰いに久しぶりに行ってみました。平日なのに、何組か来られてました。道沿いからだいぶ山に入っていてます。御池、キャンプ場の近くで、池と山の眺めは素敵です。
社務所に頂いた御朱印に印をとのこと。
隣に見本が有りました。
登った先の社務所に置き書きの御朱印が有りました。300円です。
彫刻が素敵です
敷地内に不動明王が。
霧島東神社(きりしまひがしじんじゃ)
旧社格:県社
霧島六社権現のひとつ。
主祭神は伊弉諾尊・伊弉冉尊。
そのほか、相殿神、天照大神・瓊瓊杵尊・天忍穗耳尊・彦火火出見尊
鸕鷀草葺不合尊・神日本磐余彦尊
高千穂峰に鎮座する坂本竜馬が引き抜いたという有名な『天之逆鉾』は、
霧島東神社の飛び地境内で社宝とされています。
伊弉諾尊・伊弉冉尊が天浮橋から突き刺してオノゴロ島を誕生させた天沼矛とも
瓊瓊杵尊が降臨された際に天照大御神から授けられたものともいわれています。
神社からは眼下に御池が見えます。
神武天皇が幼い頃に遊ばれたと伝わっています。
鳥居。
拝殿。
こちらは社宝の『天之逆鉾』
高千穂峰に登山して撮りました。
現在のものはレプリカで、噴火の際に刃が折れてしまったそうです。
しかし柄の部分(オリジナル)は今でも地中に埋められたままだそうです。
高千穂峰山頂からの景色。
標高1574mとそれほど高い山ではありませんが、
近くの新燃岳に噴火の影響で火山礫が足首が埋まるほど堆積しています。
そのため一歩踏み出すと滑って半歩下がるような状況で
標高以上にかなりの体力を使います。
過去(2016年<平成28年>)参拝分の投稿です。
宮崎県にある霧島東神社へ参拝しました。
天気は曇りでした。
この神社は霧島六社権現のうちの一社で、旧社格は郷社です。
ご祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の夫婦神二柱です。
第10代崇神天皇(紀元前97年~紀元前30年)の御代に創建されたと伝えられていて、鹿児島県の霧島神宮が「西霧島宮」(西御在所之宮・華林寺)と言われたのに対して、こちらは、「東霧島宮」(東御在所之宮・錫杖院)と呼ばれ栄えていました。
高千穂峰山頂は飛地境内であり、山頂の「天逆鉾」は霧島東神社の社宝として祀られています。
夏場に参拝しましたが、山の中や木々に覆われていることもあって比較的涼しいので参拝しやすかったです。
御朱印は書置きのものが置いてあったので、それを拝受しました。
鳥居
階段続きの参道です
手水舎
少し離れて上から手水舎を見る
参道途中の風景
天狗堂
祓所(禁足地)
一本の注連縄で結ばれている二本のご神木
自然の緑に朱色が映える立派な神門
門守社
猿田彦社
脇社
鮮やかです
階段下から社殿を見る
社殿遠景
御朱印
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