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たのてんけんじんじゃ

田野天建神社
宮崎県 田野駅

歴史

当社はもと田野神社と称し、仏堂園元倉にあったが、明治四年現在の地に遷し、大正二年九月持原の天建神社を合祀して現在名となった。
天建神社は、元徳二年(1330)伊東祐持が日向に下った時、丘道宮田荒二郎義立に命じ、特に勧請して武運長久を祈り、天正十六年(1588)三月、祐兵封を飫肥に受けると、新に神社を楠原に建てた。寛文元年(1661)さらに社殿並に字名をも併せて田野村に遷し、宮田氏を祠官とさせ、伊東家の武運を祈り、神社を納める毎に謝状を下付した。また、百済国王に関しては「田野大宮大明神縁起」に左のようにある。
昔、百済国王の船が日向の油津に漂着された。
王は我が住処は何処にしたものかと見回した時遥か北の方の山に五色の雲が舞い下った。王は彼処が我が住地だとつぶやいて小姓一人を従えてわけ入った。峻しき路に疲れて、小姓は魂が抜けたようになった。王は谷川の水を掬んで彼の口にそそいだ。小姓は忽ちその水で生気をとりもどした。かくてこの坂は後に小姓坂と呼ばれた。それからなお進んで一宿した処を後に宿野(しくの)といった。それから深山に分け入り彼の五色の雲の下の岩屋にしばらく体を息めた。
折から田野の男達八人がその前を通って王を見つけ、その怪異の姿に敬意を起し恭しく話しかけたが王は何ともいわない。そこで彼らは持っていた蔦葛をうち振り身ぶりおかしく舞を舞った。王はその時微笑した。後永くシヤグリ舞といってこの時の舞の様子を伝えたという。彼らはそれから王を導いて田野に帰りそこに仮殿を建てて仕えた。不思議にも王の手飼いの鶴が王を慕って飛び来り、その仮殿を守護した。
王は月毛の駒を愛し、それに跨ってあちこちと遊覧してまわられた。ある時王の馬は何に驚いたのか急に踊り上って王を乗せたまま井戸の中に飛びこんでしまった。そのため、王の冥福を祈り村内の井戸を全て埋め、またそれ以来田野では月毛の馬を忌むという。
王はかくて薄命の身の終りを告げたが、村人は厚く王を葬り神として祀ったという。

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田野天建神社の基本情報

住所

宮崎県宮崎市田野町甲2793

行き方

・田野ICより田野市街方面へ約5分
・JR日豊本線田野駅より徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称

田野天建神社

読み方

たのてんけんじんじゃ

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号(0985)86-2125
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.m-shinsei.jp/m_shrine/%e7%94%b0%e9%87%8e%e5%a4%a9%e5%bb%ba%e7%a5%9e%e7%a4%be%ef%bc%88%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%a6%e3%82%93%e3%81%91%e3%82%93%e3%81%98%e3%82%93%e3%81%98%e3%82%83%ef%bc%89/

詳細情報

ご祭神天兒屋根尊(あめのこやねのみこと)
大國主尊(おおくにぬしのみこと)
朝鮮百済國王(ちょうせんくだらこくおう)
創建時代

不詳

創始者

不明

本殿

本殿・拝殿 ともに(入母屋造)

ご由緒

当社はもと田野神社と称し、仏堂園元倉にあったが、明治四年現在の地に遷し、大正二年九月持原の天建神社を合祀して現在名となった。
天建神社は、元徳二年(1330)伊東祐持が日向に下った時、丘道宮田荒二郎義立に命じ、特に勧請して武運長久を祈り、天正十六年(1588)三月、祐兵封を飫肥に受けると、新に神社を楠原に建てた。寛文元年(1661)さらに社殿並に字名をも併せて田野村に遷し、宮田氏を祠官とさせ、伊東家の武運を祈り、神社を納める毎に謝状を下付した。また、百済国王に関しては「田野大宮大明神縁起」に左のようにある。
昔、百済国王の船が日向の油津に漂着された。
王は我が住処は何処にしたものかと見回した時遥か北の方の山に五色の雲が舞い下った。王は彼処が我が住地だとつぶやいて小姓一人を従えてわけ入った。峻しき路に疲れて、小姓は魂が抜けたようになった。王は谷川の水を掬んで彼の口にそそいだ。小姓は忽ちその水で生気をとりもどした。かくてこの坂は後に小姓坂と呼ばれた。それからなお進んで一宿した処を後に宿野(しくの)といった。それから深山に分け入り彼の五色の雲の下の岩屋にしばらく体を息めた。
折から田野の男達八人がその前を通って王を見つけ、その怪異の姿に敬意を起し恭しく話しかけたが王は何ともいわない。そこで彼らは持っていた蔦葛をうち振り身ぶりおかしく舞を舞った。王はその時微笑した。後永くシヤグリ舞といってこの時の舞の様子を伝えたという。彼らはそれから王を導いて田野に帰りそこに仮殿を建てて仕えた。不思議にも王の手飼いの鶴が王を慕って飛び来り、その仮殿を守護した。
王は月毛の駒を愛し、それに跨ってあちこちと遊覧してまわられた。ある時王の馬は何に驚いたのか急に踊り上って王を乗せたまま井戸の中に飛びこんでしまった。そのため、王の冥福を祈り村内の井戸を全て埋め、またそれ以来田野では月毛の馬を忌むという。
王はかくて薄命の身の終りを告げたが、村人は厚く王を葬り神として祀ったという。

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