あおしまじんじゃ
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青島神社(青島神宮)の御由緒・歴史
ご祭神 | 天津日高彦火火出見命(あまつひだかひこほほでみのみこと) 豊玉姫命(とよたまひめのみこと) 塩筒大神(しおづつのおおかみ) | |
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創建時代 | 不詳 | |
ご由緒 | 天孫瓊々杵命の皇子彦火火出見命が、海積宮から御還幸の際の御宮居の跡として三神を奉祀し御神威を今日に伝えている。奉祀の年代は明らかでないが、国司巡視記「日向土産」(平安朝)に「嵯峨天皇の御宇奉崇青島大明神」と記されてあったといわれ(約千百九十九年前)、文亀(室町時代・約五百年前)以降は、藩主伊東家の崇敬厚く、社殿の改築、境内の保全に力を尽し、明治以後は御祭神の御威霊を仰ぎ熱帯植物繁茂する国内絶無の霊域をたずねる人々いよいよ多く、縁結・安産・航海・交通安全の神として、御神威は益々輝き今日に至っている。 | |
歴史 | 由緒[編集] 青島神社全体俯瞰 元来は海洋に対する信仰によって創祀されたと考えられ[1]、古くから青島自体が霊域として崇められており[2]、そこから後述するように江戸時代まで全島が禁足地とされていた。社伝によれば、山幸海幸神話で、彦火火出見命が海神宮(わたつみのみや)から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだため、その宮跡に命と上記2柱の神を祀ったのに始まると伝えるが[注 1]、寛文2年(1662年)の大地震で旧記古文書類を失った為に創祀の古伝の詳細はあきらかでない[3]。 神社の旧記によれば、平安時代の日向国の国司の巡視記とされる『日向土産』なる書に「嵯峨天皇の御宇に奉崇(あがめまつる)...Wikipediaで続きを読む | |
引用元情報 | 「青島神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9D%92%E5%B3%B6%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102781432 |
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