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みそぎ御殿のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年07月11日(日)
参拝:2021年7月吉日
記記旅で一番興味あったところです。
日本神話に出てくる神々の多くは、
伊弉諾と伊弉冉という夫婦の神から産まれました。ところがその一人である“火の神”を産んだときの火傷がもとで、妻の伊弉冉は命を落とします。
夫の伊弉諾は、妻を失ったことを嘆き悲しみ、
死者の世界である黄泉の国に彼女を迎えに行きました。しかし、伊弉冉は変わり果てた恐ろしい姿になっていて、それを見た伊弉諾は、伊弉冉を連れて帰るのをやめて地上に引き返し、黄泉の国に通じる入口を塞いだのです。
そして、黄泉の国の穢れを落とすために、
池に入って禊(身を清めること)をしました。
この『みそぎ池』こそが、
伊弉諾がみそぎをした池だと言い伝えられているのです。
古事記には、このみそぎの際に、
伊弉諾が左目を洗うと天照大神(アマテラスオオ)ミカミ)が、
右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)が、
鼻を洗うと素戔嗚尊(スサノオノミコト)が生まれたと記されています。
この三柱は、最も高貴な『三貴神』とされている
みそぎ御殿は境内の撮影禁止の為写真は外からのみです。御朱印は社務所不在の為いただけませんでした。
由緒板によると、みそぎ御殿の創始は、昭和34年11月15日から12月9日にわたり大神の御神霊より「阿波岐原みそぎ御殿を建つべし」とのご神託と御殿造営現地に誘導があり、これが神名ならびに御殿のはじまりとなり昭和40年2月15日みそぎ御殿は奉建されたそうです。
また「御殿造営なりしときは伊勢神宮に迎えに来い」と神託を賜り、昭和41年3月12日伊勢神宮において厳かに神事奉楽ありて御神霊を拝受し、おまつりされたそうです。
この御殿の神域は、その昔禊祓された伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が神籬(ひもろぎ)をたて茅(ちがや)の注連をめぐらし21日の間、天つ神の照鑑を仰ぎ給い祭祀神楽を執り行なわれた、尊い霊跡であると神語され、またこの神代霊跡の地に創建された御社には「天つ神、国つ神をはじめ全国の神々が神集う所」とも神語されたと書かれてあります。
日本神話に出てくる神々の多くは、
伊弉諾と伊弉冉という夫婦の神から産まれました。ところがその一人である“火の神”を産んだときの火傷がもとで、妻の伊弉冉は命を落とします。
夫の伊弉諾は、妻を失ったことを嘆き悲しみ、
死者の世界である黄泉の国に彼女を迎えに行きました。しかし、伊弉冉は変わり果てた恐ろしい姿になっていて、それを見た伊弉諾は、伊弉冉を連れて帰るのをやめて地上に引き返し、黄泉の国に通じる入口を塞いだのです。
そして、黄泉の国の穢れを落とすために、
池に入って禊(身を清めること)をしました。
この『みそぎ池』こそが、
伊弉諾がみそぎをした池だと言い伝えられているのです。
古事記には、このみそぎの際に、
伊弉諾が左目を洗うと天照大神(アマテラスオオ)ミカミ)が、
右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)が、
鼻を洗うと素戔嗚尊(スサノオノミコト)が生まれたと記されています。
この三柱は、最も高貴な『三貴神』とされている
みそぎ御殿は境内の撮影禁止の為写真は外からのみです。御朱印は社務所不在の為いただけませんでした。
由緒板によると、みそぎ御殿の創始は、昭和34年11月15日から12月9日にわたり大神の御神霊より「阿波岐原みそぎ御殿を建つべし」とのご神託と御殿造営現地に誘導があり、これが神名ならびに御殿のはじまりとなり昭和40年2月15日みそぎ御殿は奉建されたそうです。
また「御殿造営なりしときは伊勢神宮に迎えに来い」と神託を賜り、昭和41年3月12日伊勢神宮において厳かに神事奉楽ありて御神霊を拝受し、おまつりされたそうです。
この御殿の神域は、その昔禊祓された伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が神籬(ひもろぎ)をたて茅(ちがや)の注連をめぐらし21日の間、天つ神の照鑑を仰ぎ給い祭祀神楽を執り行なわれた、尊い霊跡であると神語され、またこの神代霊跡の地に創建された御社には「天つ神、国つ神をはじめ全国の神々が神集う所」とも神語されたと書かれてあります。
すてき
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のぶさん1603投稿
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