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江田神社の後ろに広がる公園の中にある別の神社です。昭和の時代に神託によって創建されたようです。

《表参道》

《御祭神》
このメンツでこの場所なのに素戔嗚尊さまが祀られていないのがちょっと違和感ですね。
あとみんな大好き瀬織津姫さま。ホツマツタエの気配がします。

《手水舎》
水は流れています。洗ひつるここも…(略)

《水神社》

《由緒書き》
何故かみそぎ池への言及が消されています。

《裏参道》
神主さんは見かけませんでしたが3人ほどで境内の掃除をされていたので管理はちゃんとされているようです。

記記旅で一番興味あったところです。
日本神話に出てくる神々の多くは、
伊弉諾と伊弉冉という夫婦の神から産まれました。ところがその一人である“火の神”を産んだときの火傷がもとで、妻の伊弉冉は命を落とします。
夫の伊弉諾は、妻を失ったことを嘆き悲しみ、
死者の世界である黄泉の国に彼女を迎えに行きました。しかし、伊弉冉は変わり果てた恐ろしい姿になっていて、それを見た伊弉諾は、伊弉冉を連れて帰るのをやめて地上に引き返し、黄泉の国に通じる入口を塞いだのです。
そして、黄泉の国の穢れを落とすために、
池に入って禊(身を清めること)をしました。
この『みそぎ池』こそが、
伊弉諾がみそぎをした池だと言い伝えられているのです。
古事記には、このみそぎの際に、
伊弉諾が左目を洗うと天照大神(アマテラスオオ)ミカミ)が、
右目を洗うと月読命(ツクヨミノミコト)が、
鼻を洗うと素戔嗚尊(スサノオノミコト)が生まれたと記されています。
この三柱は、最も高貴な『三貴神』とされている
みそぎ御殿は境内の撮影禁止の為写真は外からのみです。御朱印は社務所不在の為いただけませんでした。
由緒板によると、みそぎ御殿の創始は、昭和34年11月15日から12月9日にわたり大神の御神霊より「阿波岐原みそぎ御殿を建つべし」とのご神託と御殿造営現地に誘導があり、これが神名ならびに御殿のはじまりとなり昭和40年2月15日みそぎ御殿は奉建されたそうです。
また「御殿造営なりしときは伊勢神宮に迎えに来い」と神託を賜り、昭和41年3月12日伊勢神宮において厳かに神事奉楽ありて御神霊を拝受し、おまつりされたそうです。
この御殿の神域は、その昔禊祓された伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が神籬(ひもろぎ)をたて茅(ちがや)の注連をめぐらし21日の間、天つ神の照鑑を仰ぎ給い祭祀神楽を執り行なわれた、尊い霊跡であると神語され、またこの神代霊跡の地に創建された御社には「天つ神、国つ神をはじめ全国の神々が神集う所」とも神語されたと書かれてあります。











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| 名称 | みそぎ御殿 |
|---|---|
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
詳細情報
| ご祭神 | 天照皇大御神、月読尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、級長津彦命、級長戸辺命、豊受大御神、倭姫命、瀬織津姫命 |
|---|
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