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なごじんじゃ

奈古神社の御由緒・歴史
宮崎県 蓮ケ池駅

ご祭神天津彦々火瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)
鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
神日本磐余彦天皇(かむやまといはれひこのすめらみこと)(神武天皇)
創建時代第十三代天皇成務天皇十三年
創始者武内宿祢
ご由緒

瓊々杵尊は日向国高千穂槵觸の峯に天降り給い、国内を巡覧し当地に至り、この地朝日の直刺す国夕日の日照る国也、これは何山の領域かと問われたところ、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)の領地と答えた。瓊々杵尊は吾田長屋笠狭の御碕に至り天神地祗を祀った。のち成務天皇十三年武内宿祢が磐余彦命・葺不合命を祀ったと、神社の縁起に伝えている。旧称奈古八幡宮とも長屋神社とも称し、南方・池内・上北方・下北方・花ヶ島・江平六カ村の産土神として崇敬されてきた。領主伊東氏およびその家臣から厚く尊崇され、度々社領の寄進があり江戸初期には神領十石を有していた。その後延岡藩内でも有数の神社として、毎年九月十五日の大祭には延岡藩代官が社参、のち藩主内藤氏の代参があり、これより内藤氏の祈願所となった。
 明治維新後奈古神社と改称、同四年村社に列した。境内には三千日垢離成就塔といわれる石碑が存在するが、これは戦国期に都於郡城主伊東氏より奈古神社宮司へ嫁いだ女性が、夫の死後女体で神事をつかさどり、海水での水垢離(みずごり)を三千日行ったところ遂に胸毛を生じて男体のようになったという伝説によるものである。また社殿後方にある前方後円墳は祭神瓊々杵尊の御陵と伝えられている。

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