あらおがわじんじゃ
あらおがわじんじゃさ
編集前:あらおがわじんじゃ
応徳三年(1086)頃に、源義家が征東の際、戦勝を祈って黄金の剣を奉納したと伝えられている。嘉応二年(1170)に藤原秀衡が鎮守府将軍となった時に、奥州一の宮とし、室町時代には奥州探題の大崎義隆が大崎五郎の一の宮として崇敬し、江戸時代に至っては、岩出山伊達氏の氏神となった。寛保三年(1743)に、幕命によって江合川(荒雄川)沿いの三十六所明神を合祀したので、三十六社様とも称されている
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