うるふしねじんじゃ
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宇流冨志祢神社ではいただけません
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宇流冨志祢神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年09月15日(日)
参拝:2024年9月吉日
三重県名張市平尾に御鎮座する、元伊勢伊賀陰志守宮の宇流冨志禰神社に再度参拝に行って来ました。前回参拝にきたのですが、宮司さんと禰宜さんのお二方は会議に出掛けておりましたので御朱印が頂く事が出来ませんでした。なので再度参拝に来ました。この日はご在宅でしたので御朱印を頂く事が出来ました。
宇流冨志禰神社と書いてある、真ん中の「志」の文字の横ぼうが大きく書いてある意味を教えてくれました。
大きな志を持って生きて頂きたいと言う意味だそうです。この志という文字が上から4つ目、最後からも4つ目のちょうど中心にあるためにとも言ってました。
宇流冨志禰神社は元伊勢伝承がありますが、崇神天皇の時に「倭姫世紀・神宮後鎮座記」に伊賀陰志守宮二年奉斎とあり、倭姫の巡幸があったことが記されています。
1580年に起きた天正伊賀の乱で、社殿、宝物、古文書など全て焼き討ちにあい全てを失いました。
御祭神は宇奈根命
水、穀物の神であり、名の由来は元々の御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にある事から、うねる→うなねになったと言われています。
宇流冨志禰神社という名も、潤うふし水という語源を元にできたと伝えられています。
他の祀られている神様は、武甕槌命、經津主命、姫大神、大物主命、火之迦具土命、宇迦之魂命、建速須佐之男命、天児屋根命、応仁天皇、仁徳天皇になります。
宇流冨志禰神社と書いてある、真ん中の「志」の文字の横ぼうが大きく書いてある意味を教えてくれました。
大きな志を持って生きて頂きたいと言う意味だそうです。この志という文字が上から4つ目、最後からも4つ目のちょうど中心にあるためにとも言ってました。
宇流冨志禰神社は元伊勢伝承がありますが、崇神天皇の時に「倭姫世紀・神宮後鎮座記」に伊賀陰志守宮二年奉斎とあり、倭姫の巡幸があったことが記されています。
1580年に起きた天正伊賀の乱で、社殿、宝物、古文書など全て焼き討ちにあい全てを失いました。
御祭神は宇奈根命
水、穀物の神であり、名の由来は元々の御神体である赤岩が置かれている場所が名張川のうねりの側にある事から、うねる→うなねになったと言われています。
宇流冨志禰神社という名も、潤うふし水という語源を元にできたと伝えられています。
他の祀られている神様は、武甕槌命、經津主命、姫大神、大物主命、火之迦具土命、宇迦之魂命、建速須佐之男命、天児屋根命、応仁天皇、仁徳天皇になります。
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