いだじんじゃ
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三重県伊賀市猪田に御鎮座する猪田神社さんに参拝に行ってきました。歴史を感じさせる神社でした。御朱印はもらえないのかなと思っていたら、社務所があり、門が開いていて、受付と書いてあったのでインターホンを押したら宮司さんがいらっしゃいました。御朱印をありがたく拝受いたしました。
手水社
狛犬。子供狛犬を踏みつけています。
狛犬
さざれ石
四角型石灯籠
御祭神
本殿説明書
本殿
天真名井
道を歩いていきます。
鳥居
天真名井
中には井戸がありました。
【伊賀国 式内社巡り】
猪田神社(いだ~)(猪田)は、三重県伊賀市猪田にある神社。式内論社で、旧社格は村社。主祭神は、武伊賀津別命。本殿は国指定の重要文化財。
創建は不詳。主祭神の猪田神は11代垂仁天皇の皇子・意知別命三世の孫で、13台成務天皇の御代に伊賀国造を任ぜられた武伊賀都別命。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載されている「伊賀國 伊賀郡 猪田神社」の論社となっている。他の論社は、猪田神社(伊賀市下郡)。『和名抄』の伊賀郡猪田郷の名を承けた猪田村の産土神であったとされるが、中世以降「住吉神社」と呼ばれたようで、天正十八年の棟札には「住吉大明神」と書かれている。当社の社殿は室町時代後期1527年の造営で、国指定の重要文化財となっている。
当社は、伊賀鉄道伊賀線・依那古駅の南西1kmあまりの平地に浮かぶ小山の東北側の縁にある。田園地帯を南進すると、小山の縁の林に入り、境内は鳥居周りの段と、その上の段と、社殿周りの段に分かれている。造りで特徴的なのは、社殿が西向きであるため、北から南進して入ると、社殿は横を向ている。建物などが全般的に落ち着いた雰囲気の中、朱色が鮮やかな重文の本殿は非常にきれいで印象的。
今回は、伊賀国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後で、参拝者は自分以外にはいなかった。
※当社の宮司さんは比自岐神社を兼務しており、比自岐神社に御用の際は問い合わせとの張り紙があったので、当社では社務所が開いていることを期待したが、特にひと気がなかった。ネット上でも、当社の御朱印はないみたい。
境内の北側200mほどの田んぼの真ん中にある<社号標>。
50mほど南に進むと、奉納燈籠とお知らせ板があり、神社の雰囲気が出てくる。
参道を進むと林の中に突入し、突き当りに鳥居が見えてくる。
参道左側の<祠>。中には左手に巻物、右手に杖を持った中国の老翁のような石像が祀られている。仏教の何かかな?
祠の右隣の建物。石柱には<天真名井 参観道>の文字。奥には<真名井神社>と、西行法師が俳句に詠んだ、聖水伝説のある<真名井>があるとのこと。
鳥居方向を望む。石柱には<史跡猪田神社古墳 及 古井>の文字。
参道左側の<手水舎>。
一段高い境内地への階段と鳥居。門松がきれいに飾り付けられている。
鳥居の先には、さらに一段高いところに社殿が横を向いて建っている独特な配置。
階段下左側の<狛犬>。彩色付きの新しいもの。子供を踏みつける珍しいタイプ。(^_^;)
階段下左側の<狛犬>。毬は2色塗り。
鳥居をくぐって左手(東側)にある<四角型 石燈籠>。1978年に境内の古墳から出土したもので、室町時代の作。「伊賀津彦大明神」と「天文三年(1534年)~」と刻まれている。
燈籠の先にある<さざれ石>。
鳥居をくぐって右手(西側)にある建物。氏子会館かな。
氏子会館前から見た、さらに一段高いところにある<社殿>。社殿は西向きに立っている。
<社殿>全景。無彩色の拝殿と、鮮やかな朱色の本殿のコントラストが特徴的。
<拝殿>全景。見た目は古く質素だが、ぱりっとした神社幕や注連縄が生き生きしている。
<拝殿>正面。御朱印はないが、由緒書き、お御籤、参拝帳は完備。
<拝殿>内部。非常にきれいにされている。ガラス張りなので明るい。
拝殿後ろの朱色が鮮やかな<本殿>。室町時代後期1527年再建。一間社流造、檜皮葺。国指定の重要文化財。
本殿の左右両脇に建っている境内社。
帰路、振り返って<社殿>全景。
最後に、ふたたび重文の<本殿>。鮮やかな朱色の躯体と檜皮葺の屋根のコントラストが美しい。(^▽^)/
創建不詳。
延喜式神名帳に記載があることから927年より前の創建の古社である。
現在の本殿は1527年の再建で重文指定されている。
拝殿
拝殿
拝殿・本殿
本殿
本殿
四角形石灯籠
1543年建造
天真名井
天真名井
行者堂
名称 | 猪田神社 |
---|---|
読み方 | いだじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0595-21-4850 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《合》天児屋根命,金山毘古命,大物主命,大山祇命,猿田彦命,応神天皇,菅原道真,《主》武伊賀津別命,少名比古那命,上筒男命,中筒男命,底筒男命,《配》健速須佐之男命,速玉男命,事解男命,大山咋命 |
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ご由緒 | 当社の創祀については詳らかにし難い。社伝によれば、平安時代には『和名抄』の伊賀郡猪田郷の名を承けた郷の総鎮守として猪田村営と呼ばれていた、と伝えている。現存する天正18年(1590) の棟札には、「住吉大明神」と記載されており、中世以降明治に至る間は、住吉神社と呼称されていた。当社を、延喜式内社猪田神社にあてることは、現在に至るまで議論が続けられており、状況証拠のみで決定的な根拠はない。下郡の猪田神社とする決定もし難い。しかしながら、互いの鎮座する位置は、社地後方の丘陵を間にはさみ、背面しあっている点や昭和53年頃に本殿背後の猪田神社古墳頂部付近から「伊賀津彦大明神廟前」「天文三年甲午八月一五日施主橘安重」と刻した四角型石灯龍が発見され、他の遺物に室町期の小型唐草文瓦が存し、また後世のものではあるが、当社境内鳥瞰絵図の写しには、古墳頂部に、本殿とは別の小祠が描かれている等、古くから有力な社として鎮座していたことは確実であり、或いは森川櫻男氏が指摘されている通り、国史見在社伊賀津彦社とする見解も捨てがたい。明治41年(1908)、山出村社熊野神社、笠部村社春日神社ほか猪田村猪田・山出・笠部の無格社21社、境内社9社を合祀し、住吉神社の呼称を猪田神社と改めた。加えて、大字上ノ庄の村社菅原神社と、その境内社5社、無格社三社も合祀した。特記事項 当社の周辺及び背後丘陵には、五基の横穴式石室をもつ古墳があり、猪田・山出・上之庄にひろがる長野古墳群が確認される。特に、社殿背後の猪田神社古墳は、石の玉垣をめぐらした径24メートル、高4メートルの円墳で、西に開口する横穴式石室をもち、六世紀前半頃のものと推定されている。また社殿南西約100メートルほどの丘の上には榊の古木が一叢をなしており、山宮の跡と伝承され、社殿南側には「日月石」と呼ばれる円形と三角形の花崗岩岩の磐座があり、磐座祭祀の跡といわれている等、古社としての要因が数多く存在している。 |
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