やぶたじんじゃ
陽夫多神社のお参りの記録一覧
広い敷地に大きな拝殿があり、その後ろの古墳のようなやまを登ると、本殿がありました。歴史があるのか 石の階段がだいぶん傷んでいました。 ちょうど社務所に人が居られたので置き紙でしたが御朱印を頂くことができました。
【伊賀国 式内社巡り】
陽夫多神社(やぶた~)は、三重県伊賀市馬場にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は健速須佐之男命、配祀神は五男三女神、合祀神は天之火明命、火之迦具土神ほか12柱。「藪田神社」、「薮田祇園社」、「高松祇園社」、「川合天王」とも呼ばれる。
社伝によると、宣化天皇3年(538年)に厄病除けのため、伊賀国造多賀連によって創始。現在は須佐之男命を祭神としているが、かつては多賀連の高松神と陽夫多神を祀っていたと考えられており、ともに国史に神階奉授、昇叙の記載がある。また、平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「伊賀國 阿拝郡 陽夫多神社 小」に比定されている。室町時代の1473年、関白左大臣で国文学者でもあった一条兼良が当社を訪れ、紀行文に残している。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR関西本線・佐那具駅の北東、道のり3kmの古い街と耕作地の境にある。平地に広々とした草木がほとんどない境内があり、社殿は小山(宮山)の南縁にある。社殿周りは独特な造りで、横に長い神楽殿のような建物が中央にあり、その両側の鳥居をくぐって階段を登ると一つの拝殿に出る形になっている。(おそらく)無人社なのに社務所が新しくてかなり大きいのも印象に残る。ちなみに、松尾芭蕉は当地・伊賀郡阿拝郡の出身で、芭蕉の流れを汲む蕉門伊賀連衆の歌碑が境内に立っている。
今回は、伊賀国の式内社、旧県社であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外には参拝者はいなかった。
※ネット上、書置きの御朱印があるとのことであったが、当日は社務所も無人、社殿内でも見当たらず、拝受できなかった。
幹線道路(県道673号線)にある参道入口。
境内東端入口。手前には小川が流れ、<神橋>を渡る。
<鳥居>と<社号標>。社号標には「県社陽夫多神社」とあるが、右外側に「郷社陽夫多神社」と書かれた社号標も立っている。
(2枚目写真右端にかすかに写っている)
参道左側、社号標の反対の位置にある<一条兼良の石碑>。
参道右側にある<手水舎>。手水盤には大きく「藪田社」と刻まれている。
<鳥居>と<狛犬>。大きな狛犬はかなり補修が入っていて古そう。
鳥居をくぐってすぐ左側には、「高松山 吉蔵院」と書かれた<山門>が立っている。
山門をくぐって右奥にある<薬師堂>。
参道に戻って、少し進むと右側にある<神井(馬場の宮井)>。
神井の左後ろにある<鐘楼>。江戸時代前期1667年の銘がある。
参道左側にある、瑞垣で囲われた立派な<忠魂碑>。
<拝殿>全景。大きく横長な拝殿の背後の小高い場所に<幣殿>と<本殿>がある。拝殿の左右両方に入口があり、どちらから登り始めても幣殿に通じている。後ろの数本の巨木がかなり主張している。(o^―^o)
<拝殿>正面。壁や仕切りがない造り。この日は木材が運び込まれ、行者の人が作業中。
拝殿左側の鳥居から登り始める。
登り切ったところの左側にある建物。傍の石碑びよると宝物庫か。
<幣殿>から<本殿>への階段。屋根付き。
<本殿>内部正面。中央に祭神・建速須佐之男命の額。
<本殿>内部右上部。
<本殿>内部左上部。
本殿を出てすぐの場所にある<神宮遙拝所>。
本殿の南側にもうひとつ参拝場所がある。奥に境内社の<八柱神社>がある。
<八柱神社>社殿。
この場所から本社の<本殿>が見える。
参拝場所の左側に飾られている<古代杉の輪切り>。樹齢600年の古代杉を地上13尺で輪切りと書いてある。拝殿の背後に見えた巨木の上部かな。
参拝場所の右側に飾られている、社宝<祇園丸>。江戸時代中期1767年の奉納品とある。
八柱神社の参拝場所から見える街並み。
本殿から幣殿に下り、そのあとは来た時と逆の階段を下りてみる。
拝殿右側の鳥居から出る。
拝殿の左側(南側)にある、<(たぶん)旧社務所>。
蕉門伊賀連衆の一人、山岸半残の句碑。さすが松尾芭蕉の地元。
旧社務所の東側にある<新社務所>。
最後に、新社務所前からの社殿全景。独特な造りで、とっても印象に残る。(^▽^)/
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