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ひびきじんじゃ

比々岐神社の御由緒・歴史
公式三重県 伊賀上津駅

歴史詳細情報

白龍伝説

1578年(天正6年)伊賀国を信長の息子北畠信雄(織田信雄)が攻めた、しかし、北畠軍は敗北する(第1次天正伊賀の乱)。

そして、織田信長はその敗北を聞き、織田全軍をあげて、1581年(天正9年)伊賀を攻める(第2次天正伊賀の乱)。その際、北畠信雄は青山峠から、この地区に侵入してきた。

その際、当地区の掛田城で、伊賀衆は交戦した。北畠軍は地域の寺社に火をつけて、そこに陣を敷いた。

当社の神宮寺宝珠院も灰燼となった。そして、本陣を置いた。

その時、当社の本殿にも火をつけようとした。しかし、なかなか火が付かなかった。そこで、木こりを呼び、斧で破壊しようと斧を本殿にあてた瞬間、白龍が現れて、北畠軍は恐れ、逃げて、本殿は壊されることはなかった。

現在、建て替えられたが、本殿の柱には傷が付けられてられている。

本殿の柱の傷

本殿の柱の傷

編集:比々岐神社公式
最終更新: 2023年02月19日(日)

目次

ご祭神《主》比々岐大神
《合》武甕槌神,経津主神,天児屋根命,誉田別神,健速須佐之男命,天照大御神,速玉男命,事解男命,伊邪那岐命,大物主神,大山祇神,火産霊神,市杵島姫神,綾戸日女神,事代主神,宇迦之御魂神
創建時代不詳
ご由緒

本社の創始は不明である。御祭神の比々岐大神は上津の里の見守りの神で、上津地区に人々が生活し始めた頃から祀られてきたと考える。配祀されている春日の神々は1200年前に鹿島・香取の神々が奈良の春日に遷幸の際に勧請されたと伝えられる。「延喜式」に当社の名前が見られる。平安の頃からか、京都の石清水八幡宮の荘園があったことから八幡大神が祀られることとなり、八幡宮と呼ばれた。往古は社領120石を有し、別当寺宝珠院とともに隆盛したという。しかし、天正伊賀の乱でほとんどの堂宇が焼失した。しかし、その際、白龍(白蛇)が現われ、本殿のみは焼失をまぬがれたという伝承がある。江戸時代には上津八幡宮として、藤堂家の崇敬を受け、多<の献納があった。明治になり、八幡宮という名を廃止、比々岐神社を社名とし、上津地区内の請社を合祀した。

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