ひらおいやくし石負山
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平尾井薬師について
本尊の薬師如来像は、首から上の病にご利益があるとされ、特に目や耳の持病を持つ人々に信仰されています。
「参拝時には穴の開いたものを吊るし祈願する習わしがあります。髪の毛を少量切って吊るすと頭痛が治ると言われていて、本尊は「大医仏」とも呼ばれ、五臓(心・肝・脾・肺・腎)にもご利益があるとされています。
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三重県紀宝町平尾井地区に佇む「平尾井薬師堂(石負山仏願寺)」は、熊野の地に深く根付いた歴史と信仰を今に伝えています。平尾井薬師の起源は寛治4年(1090年)にさかのぼります。白河法皇が熊野三山に12回御幸され、その時「逢野細谷(相野谷)」に薬師堂の建立を勅願されました。これにより熊野三仏平尾井薬師が誕生したと伝えられています。
また、巨岩を背に建つ薬師堂の姿に、古から続く「磐座(いわくら)信仰」を見ることができます。この信仰は、巨石や岩山を神聖なものとして崇める、古代日本独自の自然崇拝の一つです。
熊野三仏薬師参拝道と書かれた岩 この辺り参道入口があるようです
車はここを登っていくと駐車場が有ります
駐車場にある案内板
平尾井薬師堂(石負山仏願寺)
古来、熊野へは歴代天皇が御幸され、白河法皇が寛治4年(1090)以来12回にわたり熊野三山二御幸された時、逢野細谷(相野谷)の地に、薬師堂の建立を勅願し許されたのが、熊野三仏平尾井薬師である。
本尊は、当方瑠璃光薬師如来で特に、首より上の病に霊験功徳あり。御堂は、幾度も炎上し現建物は、昭和38年、平尾井区民有志、篤志家の寄進によるものである。
又、薬師堂上の巨岩に足跡の形が彫られ、仏足跡と言い、昔日、高貴な方の参詣の証として刻まれたものであると言われる。
平成6年8月吉日
紀宝町教育委員会
駐車場から登ったところです 薬師堂へ続く参道は、270段あまりの石段が連なり、駐車場はほぼ中間にあります
巌別清水大師(弘法大師)案内板
最初は穏やかな登り道ですが、2つ目の案内板から少しきつくなります
手水鉢
大岩の下にお祀りされています
巌別清水大師(弘法大師)
祠
手水鉢
本堂
熊野三仏平尾井薬師
往時相野谷を逢野細谷と云った。
平尾井に逢野峠・細谷、鮒田には逢野口等の地名が残っている。
後鳥羽法皇を始め奉り歴代の帝相、熊野に御幸数十回に亘らせられ、今から千三百七十八年前白河法皇熊野三山に御幸の砌、逢野細谷の地に薬師堂を勅願建立、即ち熊野三仏平尾井薬師である。
以来幾度か炎上したが、先の堂宇は明和三年に建立。
現在の建造物は昭和三十八年に区民及び篤志者の寄進により建て替えたものであります。
石負山仏願寺(明和三年戌三月建立)
本尊 東方瑠璃光薬師如来
本寺 普門山円通寺
石負山仏願寺と書かれた扁額
平尾井薬師ご真言
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
本堂内
岩の下に石仏が置かれているようです
横から見ると、巨岩がお堂にのしかかるかのようです
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