いざわのみや
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伊雜宮(皇大神宮別宮)ではいただけません
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伊雜宮(皇大神宮別宮)のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年10月14日(木)
参拝:2020年10月吉日
伊雜宮(いざわのみや)は、三重県志摩市にある神社。式内論社で、志摩国一之宮。内宮(皇大神宮)の別宮。10社ある内宮別宮の中では、荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ第4位。祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)。三重県度会郡大紀町にある「瀧原宮」とともに、天照大神の遥宮(とおのみや)と呼ばれる。毎年6月に行われる御田植式は「磯部の御神田(おみた)」と呼ばれ、国指定の重要無形民俗文化財に指定され、日本三大御田植祭の一つとされる。
創建は2千年前、第11代垂仁天皇の御代。皇大神宮が現在地に鎮座したのち、倭姫命が御贄地(みにえどころ)を定めるために志摩国を巡行された後、伊佐波登美命が当地に神殿を創建し、天照大御神の御魂を祀ったのが始まり。平安時代初期804年の『皇太神宮儀式帳』には宮名が記載されており、それ以前から別宮として位置づけられていたと考えられるとのこと。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「志摩国 答志郡 粟島坐伊射波神社 二座 並大」に比定されるとしている。もう一つの論社は、三重県鳥羽市にある「伊射波神社」。鎌倉時代の『吾妻鏡』には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雑宮に贈ったと記載されている。
当社は、近鉄志摩線・上之郷駅の西方200mの、田んぼの中のわずかに高くなった林の中にある。入口の鳥居をくぐると、高い木々に覆われ、きれいな砂利が敷き詰められた、内宮と同じクオリティの空間が広がる。境内はさほど広くはなく、社殿が1つとその隣に古殿地がある。
今回は神宮の別宮であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、台風一過の晴天ということもあり、家族連れや夫婦など、数組の参拝者が訪れていた。
創建は2千年前、第11代垂仁天皇の御代。皇大神宮が現在地に鎮座したのち、倭姫命が御贄地(みにえどころ)を定めるために志摩国を巡行された後、伊佐波登美命が当地に神殿を創建し、天照大御神の御魂を祀ったのが始まり。平安時代初期804年の『皇太神宮儀式帳』には宮名が記載されており、それ以前から別宮として位置づけられていたと考えられるとのこと。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「志摩国 答志郡 粟島坐伊射波神社 二座 並大」に比定されるとしている。もう一つの論社は、三重県鳥羽市にある「伊射波神社」。鎌倉時代の『吾妻鏡』には、源頼朝が神宮に祈願した際、神馬を伊雑宮に贈ったと記載されている。
当社は、近鉄志摩線・上之郷駅の西方200mの、田んぼの中のわずかに高くなった林の中にある。入口の鳥居をくぐると、高い木々に覆われ、きれいな砂利が敷き詰められた、内宮と同じクオリティの空間が広がる。境内はさほど広くはなく、社殿が1つとその隣に古殿地がある。
今回は神宮の別宮であることから参拝することに。参拝時は週末の午前中、台風一過の晴天ということもあり、家族連れや夫婦など、数組の参拝者が訪れていた。
境内東側入口にある<鳥居>と<社号標>。
鳥居をくぐったところからの景色。奥に進んで行く。
参道左側にある<手水舎>。
参道を進む。神宮別宮共通の、落ち着いたしっとりとした雰囲気。
参道右側の建物。
参道右側の<祓所>。
やがて<社殿>が見えてくる。
写真の手前は<古殿地>。
<社殿>全景。神宮別宮共通の造り。
<社殿>正面。気持ちが引き締まる。
鳥居をくぐる。
<拝殿>正面。こちらで参拝。
参拝後、別アングルから。
最後に<社殿>全景。
入口付近にある<宿衛屋>。御朱印はこちら。
鳥居の脇にある<伊雜宮衛士派出所>。
境内南側にある<伊雜宮御料田>。
すてき
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惣一郎1269投稿
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