へぐりじんじゃ
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楽しみ方平群神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月15日(水) 08時30分06秒
参拝:2026年3月吉日
伊勢国員弁郡の式内社です。第15代応神天皇さまの前後から朝廷で力を持っていた古代氏族・平群氏が氏族の祖である平群木菟宿禰さまを祀って創建されたとされています。平群木菟宿禰さまはあの伝説の従者である武内宿禰命さまの御子の一人とされています。

《一の鳥居と社号碑》

《二の鳥居と灯籠》

《石塁》

《表参道》
小川で区切られ太鼓橋が架かっています。
小川で区切られ太鼓橋が架かっています。

《手水舎》
水は枯れています。洗ひつるここも…(略)
水は枯れています。洗ひつるここも…(略)

《祓戸》

《鶏の石像》
ニワトリは伊勢の神宮や石上神宮では神使として扱われますが、こちらも何か関連があるのでしょうか。
ニワトリは伊勢の神宮や石上神宮では神使として扱われますが、こちらも何か関連があるのでしょうか。

《社務所》
普段は無人のようです。
普段は無人のようです。

《拝殿と獅子狛犬像》

《拝殿内部》
平群氏に関連する神社は当社の他に奈良県内に平群坐紀氏神社と平群神社があり、朝廷に出仕していた中央の平群氏の本拠はそちらだったとされています。平群坐紀氏神社に関しては紀氏の神社という意味で一見関連がなさそうですが、武内宿禰命さまの母君はこの紀氏だったとされています。
平群氏に関連する神社は当社の他に奈良県内に平群坐紀氏神社と平群神社があり、朝廷に出仕していた中央の平群氏の本拠はそちらだったとされています。平群坐紀氏神社に関しては紀氏の神社という意味で一見関連がなさそうですが、武内宿禰命さまの母君はこの紀氏だったとされています。

《本殿》
周辺の神社と同じく流造の建築様式です。
ちなみに当社から東に1kmに櫛田神社がありますがこちらは桑名郡に属しており、当地は員弁郡と桑名郡の境界近くであるようです。
周辺の神社と同じく流造の建築様式です。
ちなみに当社から東に1kmに櫛田神社がありますがこちらは桑名郡に属しており、当地は員弁郡と桑名郡の境界近くであるようです。

《末社》

《平群沢ため池公園》
👁チェックポイント‼️
当社のすぐ隣には「志知の宮池」と呼ばれる池があり、こちらはあの日本武尊さまに関連した伝承が遺っています。東国征討の帰途で伊吹山での神の災いに触れて病身の状態のときに当地で駐留し、遺言とも思える国土を想った詩を遺しています。この後日本武尊さまは南下し現在の亀山市能褒野の地で逝去されてしまいます。
そうした伝承地であるのと同時に、当社には神罰を受ける「片目の魚」と「九左衛門と白鷺」の2つの昔話の舞台となる池として伝説のある池として住民たちに認知されていました。
写真を撮り損ねましたが池ほとりに日本武尊さまの石像と歌碑があります。
👁チェックポイント‼️
当社のすぐ隣には「志知の宮池」と呼ばれる池があり、こちらはあの日本武尊さまに関連した伝承が遺っています。東国征討の帰途で伊吹山での神の災いに触れて病身の状態のときに当地で駐留し、遺言とも思える国土を想った詩を遺しています。この後日本武尊さまは南下し現在の亀山市能褒野の地で逝去されてしまいます。
そうした伝承地であるのと同時に、当社には神罰を受ける「片目の魚」と「九左衛門と白鷺」の2つの昔話の舞台となる池として伝説のある池として住民たちに認知されていました。
写真を撮り損ねましたが池ほとりに日本武尊さまの石像と歌碑があります。
すてき
投稿者のプロフィール

神祇伯1790投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(5/7更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
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