たちさかじんじゃ
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旧東海道にある石の鳥居に惹かれてお詣りしました。鳥居から約250メートル奥に門前が現れます。
立坂神社参拝記録残し
東海道を徒歩で行く
【伊勢国 式内社巡り】
立坂神社(たちさか~)は、三重県桑名市新矢田にある神社。式内社で、旧社格は県社。主祭神は大日孁貴尊(おおひるめむち)、配祀神は武甕槌神、斎主神、天児屋根命ほか7柱。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「伊勢國 桑名郡 立坂神社 小」に比定されている。桑名藩主・本多忠勝の崇敬が篤く、以後代々の藩主の保護を受けた。もともとは「矢田八幡社」と称していたが、明治時代に入り県社に列格するとともに、「立坂神社」と改称した。戦災を逃れたため、昔の風情が残っているとのこと。
当社は、JR関西本線、近鉄名古屋線・桑名駅の南方600mほどの住宅街、平地にある。境内は広々としていて、古木が立ち並び包まれ感がある。近くには国道1号線が通っているもののすこし入ったところにあるため境内は閑静。古社らしい雰囲気に溢れている。
今回は、伊勢国式内社、旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、他に参拝者は見掛けなかった。
※当初参拝時は宮司さんが不在で御朱印は拝受できなかったが、夕方再度訪問したところ運よく宮司さんが戻られていて、御朱印を拝受できた。他の神社も数社兼務されているとのことで、自分が式内社を廻っている話を差し上げたところ、兼務社の中でも式内社「平群(へぐり)神社」(伊勢國員弁郡)が特にお勧めで、ご朱印も書いていただけるとのことであった。機会があればぜひ行ってみたい。
境内南端入口のすこし南側にある<二の鳥居>と<社号標>。さらに200mほど離れたところに一の鳥居があるらしい。
境内南端入口の<神門>。
神門には<八幡宮>の扁額が掛かっている。当社の旧称「矢田八幡社」の名残。
神門をくぐったところ。草木が豊か。
神門をくぐってすぐ左側にある<祓戸>。
参道を進んで左側にある<手水舎>。
<拝殿>全景。大きく堂々とした造り。神紋入りの大きな神社幕が目を引く。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。口を開けると可愛らしい。(^_^;)
<拝殿>正面。神社幕の開き具合がつつましやか。
社殿の右側に進む。
突き当りには、一段高いところ、瑞垣の中に境内社がある。
瑞垣の中ある、摂社<大日孁貴(おおひるめむち)社>。珍しいことに、摂社に主祭神の名前が当てられている。
大日孁貴社の前から見た、本社の<本殿>。屋根の最上部しか見えない(逆側からはもっと見えない)。
拝殿近くまで戻って、境内東側を見て廻る。まず境内社の鳥居。
鳥居の後ろには、一つの建物に入る<八天宮>と<菅原神社>。
八天宮・菅原神社の南側(右隣)に進む。
サイズはかなり小さいが、説明書きによると<神楽殿>とのこと。
神楽殿の南側(右隣)にある<神馬舎>。
境内を東側から西側に移ると<社務所>がある。
社務所の左側(南側)が授与所になっている。御朱印はこちら。
最初に来た時は、宮司さんが不在で御朱印は授与できないと言われてしまった...涙
授与所前から見た<社殿>全景。社殿前には背の高い<御神木>が見える。
社殿の左側に進む。
突き当りには、一段高いところ、瑞垣の中に境内社がある。
瑞垣の中ある、末社<真清神社>。
本社社殿および真清神社の左側にもう一つ参道がある。
真っ赤な奉納旗の列に続いて、千本鳥居が並ぶ。
突き当りにある<子安稲荷神社>。
1時間ほど後に再度訪問すると、宮司さんが戻られていてめでたく御朱印を拝受。
御朱印を待っている間、ヒマなので<御神木>を激写したりして。。。(^▽^)/
名称 | 立坂神社 |
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読み方 | たちさかじんじゃ |
通称 | 八幡さん |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 境内の南東隅、神門右側にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0594-22-1224 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
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詳細情報
ご祭神 | 《主》大日貴尊,《配》武甕槌神,斎主神,天児屋根命,姫大神,木花咲夜比売神,大山津見神,天目一箇神,神功皇后,応神天皇,玉依姫 |
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本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 『延喜式神名帳』に記載の立坂神社として『神名帳傍注』他に比地にあることを記載する。嘉永6年(1853)有楢川熾仁親王殿下御筆に成る立坂神社の奉額あり。明治2年3月聖上御東幸の際同月15日当地御駐輦あり、即日本社へ奉幣使を遣される。維新以前鷹司家の崇敬厚く、御紋所の幕等寄付あり、かつ神宮は同家の支配を受けていた。旧藩主の崇敬は多度神社・桑名神社と同一にして枚挙に遑なく、造営・修補を行う。宝永8年(1711)領主松平定重越後高田へ移封の後、同侯の崇敬に依り領内へ本社の神符を頒布することを許され其地人民の信仰が厚かった。「合殿矢田八幡社は昔時令の地より西の方にありという。今此の地に八幡宮を祭るは天武帝行宮の名区を後世に廃れざらんが為に設けたる所にして云々」(五鈴遺響)。(而して慶長年中(1596~)本多侯矢田河原に勢揃あり。其時旗印に霊鳩来り止まりて祥瑞を顕わす。大いに功を収め帰陣後問うて曰く『此の地八幡社ありや』と土人曰く『西方にあり』と、仍りて之を奉祀す。後更に山城国石清水八幡宮を勧請して此を桑名八幡宮と称す、実に元和元年(1615)なり、後地名により矢田ハ幡宮と改む」と伝える。 |
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