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2025年08月01日(金) 19時00分 bymaotaro

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ご由緒
編集前
承安の頃(1171~74)三国岳に盗賊熊坂長範の残党が住み、村民に害を加えていたので、近江の国から
佐々木清長が来て一族と共に残党を征伐した。次男である安顯は深尾谷に住み深尾姓を称していたが、承久
3年(1221)に亡くなり、その子了弁が清司原に道場を建立し、父祖の菩提を弔い佐々木姓を復している。
文明3年(1471)蓮如上人より絵像と六字名号一幅を賜って真宗に帰依し王林総道場を開いた。
元禄3年(1690)本山から安顯寺の次号を下付される。
編集後
承安の頃(1171~74)三国岳に盗賊熊坂長範の残党が住み、村民に害を加えていたので、近江の国から佐々木清長が来て一族と共に残党を征伐した。次男である安顯は深尾谷に住み深尾姓を称していたが、承久3年(1221)に亡くなり、その子了弁が清司原に道場を建立し、父祖の菩提を弔い佐々木姓を復している。
文明3年(1471)蓮如上人より絵像と六字名号一幅を賜って真宗に帰依し王林総道場を開いた。
元禄3年(1690)本山から安顯寺の次号を下付される。
見所
編集前
現在の本堂は文政10年(1827)建立、
欄間は美濃の彫師佐竹民蔵義寄作で、
正面は「波に乗る龍」左右に「迦陵頻伽」「天女」を配し、美濃以外では作品がなく貴重である。
編集後
現在の本堂は文政10年(1827)建立、
欄間は美濃の彫師佐竹民蔵義寄作で、正面は「波に乗る龍」左右に「迦陵頻伽」「天女」を配し、美濃以外では作品がなく貴重である。