おおみわのやしろ
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楽しみ方大神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月11日(土) 18時56分52秒
参拝:2026年3月吉日
伊勢国朝明郡の式内論社です。全国にある奈良の大神神社の分社の一つで、三輪大明神と呼ばれていました。大神神社の分社にあたる式内社は伊勢、尾張、美濃にそれぞれあることから、三輪氏の居住地であったとされています。

《鳥居と社号碑》
現在は大神社ですが、『延喜式』神名帳には「太神社」と書かれていました。
現在は大神社ですが、『延喜式』神名帳には「太神社」と書かれていました。

《鳥居の榊》
鳥居の柱に榊の枝が括り付けられていることはよくありますが、こちらはそのうえで水が供給されるようにペットボトルが備え付けられています。
鳥居の柱に榊の枝が括り付けられていることはよくありますが、こちらはそのうえで水が供給されるようにペットボトルが備え付けられています。


《手水舎》
近づくと水が出ます。洗ひつるここも…(略)
ちなみに鎮座地の地名である「片樋」は仏教界の麒麟児である行基さんが当地を訪れた時、員弁川支流の源太川の左岸が絶壁で漏水が多く、水田用水がうまく供給されていないのを見て、L字の樋(これが片樋)を作って水を通すよう教えたことに由来します。
近づくと水が出ます。洗ひつるここも…(略)
ちなみに鎮座地の地名である「片樋」は仏教界の麒麟児である行基さんが当地を訪れた時、員弁川支流の源太川の左岸が絶壁で漏水が多く、水田用水がうまく供給されていないのを見て、L字の樋(これが片樋)を作って水を通すよう教えたことに由来します。

《社務所》
普段は無人のようです。
普段は無人のようです。

《境内》

《表参道》
簡易な神門とその前には旗を掲揚する柱があります。
簡易な神門とその前には旗を掲揚する柱があります。

《拝殿》
賽銭箱横に参拝芳名帳と書置きの御朱印が用意されていました。
賽銭箱横に参拝芳名帳と書置きの御朱印が用意されていました。

《拝殿内部》🙏
こちらも式内論社ということで明治の神社合祀政策で近隣の小社を合祀したようです。
こちらも式内論社ということで明治の神社合祀政策で近隣の小社を合祀したようです。

《本殿》
👁チェックポイント‼️
当地は現在いなべ市になっていますが、令制国時代には員弁郡ではなく朝明郡であったとされています。また、同じく論社に挙げられている四日市市大鐘町の太神社は、古代氏族・多氏の祖神であるとされています。この大神社(大神神社)の祖神が三輪氏か多氏なのかはよく混同されるようで、尾張国にある大神神社と大神社はそれぞれ三輪氏と多氏の氏神とされつつ、どちらの神社が対応するのかが文書によって違うようです。
三重県の2社もどちらが式内社か、その根拠として挙げられる三輪氏と多氏の神社がどちらも存在することから式内社・大神社を確定できなかったのだと思われます。
👁チェックポイント‼️
当地は現在いなべ市になっていますが、令制国時代には員弁郡ではなく朝明郡であったとされています。また、同じく論社に挙げられている四日市市大鐘町の太神社は、古代氏族・多氏の祖神であるとされています。この大神社(大神神社)の祖神が三輪氏か多氏なのかはよく混同されるようで、尾張国にある大神神社と大神社はそれぞれ三輪氏と多氏の氏神とされつつ、どちらの神社が対応するのかが文書によって違うようです。
三重県の2社もどちらが式内社か、その根拠として挙げられる三輪氏と多氏の神社がどちらも存在することから式内社・大神社を確定できなかったのだと思われます。
すてき
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神祇伯1777投稿
どうも、全国の古い神社に出没するお稲荷さんの下僕です。ブログで参拝した神社の感想上げてます(3/29更新) 御朱印も集めてますが写真は載せない主義なので、戴けたところは順次報告&更新します。もっと読む
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