おしやまじんじゃ
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楽しみ方忍山神社のお参りの記録(2回目)
投稿日:2024年08月18日(日) 12時26分25秒
参拝:2024年8月吉日
三重県亀山市野村に御鎮座する元伊勢 奈其波志忍山宮の忍山神社に参拝に行ってきました。
この前一回行ってきたのですが、宮司さんが不在でしたので、御朱印は書いていただけなかったので再度参拝に行ってきました。午前中しか社務所が開いてないんだなと思い、11時から12時の間に到着する様に家を出発しました。12時くらいに到着。鳥居をくぐり境内へ入り、最初に社務所が開いているか確認をしましたら何と開いてました。中には宮司さんもいらっしゃいました。先ずお詣りをゆっくりとしてその後社務所に行き御朱印を書いて頂きました。一週間くらい前にも来ましたが時間が昼を過ぎていたので、社務所があいてなくて、今日またお詣りに来ましたと話したら、基本的には午前中は開いてます。今日は13時から会議があるので、開いてますと言ってました。それから宮司さんから倭武尊と弟橘媛について話を聞いてました。
忍山は弟橘媛は生涯の地であります。
御祭神 猿田彦命 天照皇大神
由緒
崇神天皇(第10代天皇)7年(紀元前91年)秋9月御代に勅命をもって饒速日命5世の孫伊香我色雄命に猿田彦命(天孫降臨の先導哲行の神)を御鎮座せしめられた。
伊香我色雄命の子、大水口宿袮の子孫相次いで(80余代)神主となり明治年代に至る。
垂仁天皇(代11代天皇)14年(紀元前16年)9月皇女倭姫命が御杖代となり、奈良県の笠縫邑より天照皇大神の鎮座の地を求めて、忍山の地に御遷幸され、半年間御鎮座された。その跡をかしこんで天照皇大神を奉祀した。
景行天皇(代12代天皇)御代に王子倭武尊は東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主忍山宿禰の長女弟橘媛を妃とされた。又、媛は御東征に従われ相模(走水)の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められた事は、美談として伝承されている。
また、弟橘媛の妹 財部媛命(オトタカテノイヅラメ)は成務天皇(代13代天皇)の妃となられた。
この前一回行ってきたのですが、宮司さんが不在でしたので、御朱印は書いていただけなかったので再度参拝に行ってきました。午前中しか社務所が開いてないんだなと思い、11時から12時の間に到着する様に家を出発しました。12時くらいに到着。鳥居をくぐり境内へ入り、最初に社務所が開いているか確認をしましたら何と開いてました。中には宮司さんもいらっしゃいました。先ずお詣りをゆっくりとしてその後社務所に行き御朱印を書いて頂きました。一週間くらい前にも来ましたが時間が昼を過ぎていたので、社務所があいてなくて、今日またお詣りに来ましたと話したら、基本的には午前中は開いてます。今日は13時から会議があるので、開いてますと言ってました。それから宮司さんから倭武尊と弟橘媛について話を聞いてました。
忍山は弟橘媛は生涯の地であります。
御祭神 猿田彦命 天照皇大神
由緒
崇神天皇(第10代天皇)7年(紀元前91年)秋9月御代に勅命をもって饒速日命5世の孫伊香我色雄命に猿田彦命(天孫降臨の先導哲行の神)を御鎮座せしめられた。
伊香我色雄命の子、大水口宿袮の子孫相次いで(80余代)神主となり明治年代に至る。
垂仁天皇(代11代天皇)14年(紀元前16年)9月皇女倭姫命が御杖代となり、奈良県の笠縫邑より天照皇大神の鎮座の地を求めて、忍山の地に御遷幸され、半年間御鎮座された。その跡をかしこんで天照皇大神を奉祀した。
景行天皇(代12代天皇)御代に王子倭武尊は東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主忍山宿禰の長女弟橘媛を妃とされた。又、媛は御東征に従われ相模(走水)の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められた事は、美談として伝承されている。
また、弟橘媛の妹 財部媛命(オトタカテノイヅラメ)は成務天皇(代13代天皇)の妃となられた。
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